CYBERORO
原文記事:CYBERORO
"年を取ると過去の先輩たちの心情が分かったよ"
▲プロデビュー30周年をむかえたイ・チャンホ。 彼は2005年第6回農心杯で5連勝、韓国の逆転優勝を導いて帰国した時ファンたちが空港まで出てきて歓迎した場面を最も感激的な瞬間として選んだ。 写真/チャン・リョンソン客員記者プロ デビュー30年イ・チャンホ9段インタビュー幼い時は連勝しても不満…必ず復碁、体力早く落ちてきて残念相変らず目標は優勝…熱心に打つだけ1986年8月満11才のあどけない子供が入段大会を通過した。 その時だけでもこの少年が世界囲碁歴史をまるごと変えることを予想した人は誰もいなかった。
終盤戦の価値確立というパラダイム革命を導いて、韓国囲碁を世界トップに引き上げて、超人的記録を相次いで積んだイ・チャンホの出発点だった。 棋士生活30年目をむかえた41才不惑のイ・チャンホを先週末光化門(クァンファムン)のある喫茶店で会った。―入段当時思い出す場面は?"全州から父が上がってきて毎日世話をしてくれた。 序盤2連敗で意気消沈するとすぐに'君は幼いから急ぐことはない。 今年できなければ来年にやればいい'として軽く叩いて下さったことを思い出す。 その後余裕を取り戻して6連勝で入段した。"―イ・チャンホ9段をまだ神童のイメージのみで記憶するファンたちが多い。"二つの部類だ。 ある方々は40を越えたといえばびっくりして、またある方々はいつまでもイ・チャンホはこのように若いのかと言う。"―振り返れば漫画のような快挙が連続した30年だった。"分別がなかった時期、囲碁がとてもおもしろくて熱中して見たら…。 最近は逆に子供に負けて'以前の私はどうしてあんなに毎回勝ったのだろうか'と思ったりもする(笑)。"―大きいお兄さんから父親程度にもなる相手をこらしめて恐縮している表情をつくったりした。"若干不都合だっただけで恐れるという考えはなかった。 自身が敗れても感心して励ましてくれる先輩たちが多かった。 もう立場が変わって見たら過去の先輩たちの心情が分かるようだ。"―ずっと勝てば勉強など必要ないという気がしそうなのですが。"勝った対局の8~9割は内容に満足しなかった。 相手の失敗やごり押しで勝ったようで、自分が納得する碁を打つと約束したりした。 帰宅後一人で必ず復碁したが納得できない部分が出てくる場合は寝られなかった。"―現在韓国ランキング26位で囲碁リーグ所属チームではシン・ジンソ(16)の次の2番手を受け持っている。 世の中すべての棋士が年齢の前に屈服してもイ・チャンホだけは60才を越えてもトップを守るだろうと多くの人が確信した。"私でも特別な才能があるわけがない(笑)。 ただし少し早く降りてきたのは事実だ。 皆私を強骨として知っているが10代時期からずっと大変だった。 体力と健康は重要な勝負要素であるだけに私の能力はその程度ということだ。"―成績低下を技術的に分析するならば?"読みの速度が遅くなった。 時間が多ければまだ見えるが、長い時間囲碁も秒読みに達すれば結局時間が足りない。 いつからか終盤に自信が消えて初・中盤にさらに精魂を込めて戦闘で勝負を急ぐことになった。"―2010年53期国手戦以後優勝のニュースが中断された。 イ・チャンホのタイトル数が140個で終わると見るファンは殆どいない。"目標は昔も今も優勝だ。 ファンたちの期待に応じたい。"―過去30年間囲碁はどれくらい発展したのだろうか。"30年前のイ・チャンホは今の私に2子で勝てないだろう。 空の碁盤の前に座れば日が進むにつれさらに広く果てしなく感じられる。 将来人間はAlphaGoのような人工知能に2子でこそ手合割が合う時代がくるだろう。"―イ・チャンホ9段と'イ・チャンホ キッズ'のおかげで韓国囲碁が世界を支配してきた。 今後の支配権をどのように予想するか。"当時の時が熟して優秀な後輩があふれただけで'イ・チャンホ キッズ'は過分だ。 最近には中国との底辺競争で遅れをとる感じなので心配だ。"―30年間でお金はどのくらい稼いだか。"正確には分からないのだが100億ウォンを若干越える程度? 1年で3億ウォン余りなのだが、他の分野と比較すれば非常に少ないと考える。"―今後の目標を言うならば?"そのままひと勝負、ひと勝負熱心に打つだけだ。 優勝回数や勝数のような目標はたてない。 時がくれば弟子養成も考えてみる。 最近韓国棋院の理事に入ったがどれくらい力になるかはわからない。"[出処] 8月30日朝鮮日報(chosun.com)イ・ホンリョル囲碁専門記者による'イ・チャンホ9段インタビュー'を移しました。○●朝鮮ドットコム原文