【盤上の香り】「日本囲碁の神話」は私達の強迫が作った虚像だった - プライベートカラム() - 中央日報オピニオン 

神話で彩られた囲碁


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 ▲1978年8月チョ・フンヒョン7段(左側)が日本の棋聖タイトル保有者である藤沢9段と対局している。月刊『囲碁』はこの対局に対して“韓国のトップが日本のトップに勝った”として自負心を呼び覚ました。[写真日本棋院]


 
“坂田栄男(1920~2010) 9段がスリッパを履いてゆうゆうと一進一退して見回す姿を見るだけだった。 碁盤に軽く目を通してはすぐに石を一つつかんで着手する尊大な挙動と、これに反し彼と対局する中国棋士が頭を抱えて苦心する情景を見たがその時私は言うことが出来ない圧迫感を感じた。” 

1976年中・日交流戦に対するニェウェイピン(聶衛平・62) 9段の回想だ。

韓国も似ていた。 78年8月韓国の7冠王チョ・フンヒョン(61) 7段は日本に渡っていって師匠瀬越憲作(1889~1972)の7周忌出席後、藤沢秀行(1925~2009) 9段と記念対局を行った(写真). 手合割はチョ・フンヒョンが黒でコミ3目を出すこと。 当時はコミが4目半なので韓国の1人者としては屈辱であることもあった。 だが、韓国では誰もこれを不当だと思わなかったし翌年1月には勝利祝宴まで開いた。

日本は別世界だった。 韓国で日本9段は別格の存在であり呉清源(100)や坂田は神のようなイメージで受け入れられた。 このような文化的現象は強迫につながって80年代後半まで持続した。 69年11月第1回韓国・日本交流戦でチョン・チャンヒョン(1942~83) 5段が石田芳夫(66) 6段と会って白番になったが“正直に話すとちょっと‘ひやり’した”と告白するほどであった。



日本、韓国最高にも1目半やって
 
趙治勲(58) 9段は天才で有名な山部俊郎(1926~2000) 9段と初めて対局した時“いつ山部の幻想のような手法が出てこようか、焦ってかえって待った”と述懐した。 だが神秘的な手法は終わりまで出なかった。 山部の別称は変幻. 趙治勲9段はその名前に誘惑されたのだ。 勝負で萎縮と強迫は恐ろしい現象だ。

なぜそうか? なぜ冷静に判断できなくて先だって恐れから入るのか? 碁盤が戦場と認識されるためだろうか? 遊びはその遊びに入った瞬間から私たちを世の中と隔離させる。 碁盤は象徴的に戦争場だ。 戦場では地面に死ぬ。 これが恐ろしい。

囲碁では誰でも最初は下手の立場で習う。 周辺には上手が並んでいる。 才能があって感受性が高いほど上手の絶対を感じる。 前にいるが到達できない相手. それが上手だ。

戦場と下手の立場. それが囲碁で不安の源泉だ。 蘇生する世の中で不安は必然的な条件だ。


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▲1963年第2期名人戦挑戦6局終局場面.子供が集まって二人の対局者を見守っている。


趙治勲も日本囲碁幻想共に破壊

日本囲碁は立派だった。 彼らが17~20世紀に成し遂げた業績は真にすごかった。 十分に神話として持ち上げても少しも変でなかった。 だが、20世紀末韓国は神話を取りはらった。 1962年に渡日した趙治勲9段が1980年に名人タイトルを取得した。 韓国ははじめて分かった。 囲碁は神秘の世界ではなくて知識と努力の世界だと。

日本留学して11年ぶりに帰ってきたチョ・フンヒョンは認識の地平が幻想で染まらなかった。 89年チョ・フンヒョン9段が第1回応氏杯を優勝して日本を越えた。 すると韓国囲碁界はその翌日から日本に対する幻想をたたんだ。 チョ・フンヒョンはすでに78年に自身満々だった。 写真を見よう。 肩から指先まできっ抗した緊張に弾力があふれる。 かみしめた口は闘志に満ちていた。

強迫克服の核心は‘神話のような日本’が‘私たちが作った日本’というところにあった。 それが投射を止めることだ。 幸い二人の天才が道を明らかにしてくれた。 天才が囲碁の世界を開けば、囲碁共同体ははじめてそのように開かれた世界を共に迎える。 囲碁は象徴的な世界. 感受性は個人の水準だけで明確な能力. 天才が必要な理由だ。 

趙治勲とチョ・フンヒョン二人の天才とは違って韓国の他の棋士は日本の実体を知らなかった。 それなら何か分からなければ、そして実体と遠く離れていれば強迫や不安が来る余地が大きくなるのか?



神話のように伝えられた‘囲碁十決
 
東西南北識別するのが難しい霧中にある時私たちは安全なのか? 安全だと感じるのか? 

霧を説明する神話がなければならない。 すると安全だと感じる。 間違っても説明がないことよりはより良い。 多様な世の中の物象を分類することができなくて無秩序ならば私たちは耐えられない。

周易を見よう。 東アジアの潜在意識的文化テキストとして多くの人々の肩を押さえ付ける周易. その哲学を言うならば繫辭傳が全てだ。 繫辭傳の全般的な雰囲気はどんなものか. しばらく見ても繫辭傳は世の中の秩序をたてる哲学的論蔵だということがわかる。

“天は尊く地は卑くして、乾坤定まる。卑高以て陳[つら]なりて、貴賤位す。動靜常有りて、剛柔斷ず。方は類を以て聚まり、物は羣を以て分かれて、吉凶生ず。天に在りては象を成し、地に在りては形を成して、變化見[あらわ]る。(天尊地卑乾坤定矣卑高以陳貴賎位矣…可久則賢人之徳可大則賢人之業).”

秩序があるならば永遠があることで、永遠があるならば無秩序でないだろう。 多くの人々が周易に心酔するが同時に心理的な強迫も持つ理由だ。 さらに賢人まで登場する。 なぜ秩序と賢人が共に登場するのか?

文字を発明した中国は歴史で神話に代わった。 歴史は出発があって流れがある。 秩序が捕えられて世の中は統制可能だと感じる。 それを代表する存在が賢人だ。 尧・舜・伏羲・文王…. 人物はもちろん言葉がまもなく権威だ。 歴史と賢人を引用するクセは祖先崇拝思想と関連が深い。 人類は過去の誰かにおじけづいて生きる傾向がある。 東西古今違わない。

囲碁でも権威の言葉がある。 古典『玄玄棋經』(1349年)の中に古代文人の棋訣がある。 このような文だ。

“有能というのは仁で守って義で行って礼で秩序を定めて智で事理を判断することであるから…”

このように見れば囲碁は仁義礼智信、そのものだ。 このような文が少なくないのに、多くの人々がなにげなく引用したりした。 “スン・イムグムが息子に断酒を教えるために囲碁を作った”という起源説も代表的な引用文だ。

‘囲棋十訣’がある。 伝説的な人物王积薪が作ったという話が神話のように流れて降りてきた。 内容はこうだ. “相手の地に踏み込む時は深く入るな(入界宜緩).” “相手が強ければ自身を整備しなさい(彼强自保).”

すごく見えるが戦闘中心の思考であった‘戦い碁パラダイム’から‘気を付けて!’という水準だ。 しかし訣だ。 それも十訣だ。 ‘十’は完全なこと。 ‘訣’は知恵. 故に反論どころか知恵の宝庫のように敬う呆れ返る状況も時々は広がる。


東アジアで囲碁は神話として彩色されている。 囲碁はすでに‘ならなければならないその何か’だ。 現実の囲碁は観念的な囲碁に制限されなければならない。 もちろん問題があるという言葉ではない。 歓迎なしで感性はない。 人生の豊かさもない。



“遠くにあるのは凄い事のように思う”
 
囲碁だけがそうだろうか。 旅行記を見よう。 奥地を旅行してその旅行地を神秘的に彩色することはありふれている。 写真を何枚か撮って“平和に生きている彼ら…”云云。 内面の平和は得難い。 どんな社会も、どんな歴史も得るのに失敗した。 しかし写真を撮った人はわずか数日で知る。 典型的な投射だ。

ヒマラヤの下のセルパ(sherpa)のその平和で慎ましい微笑に感動しない人はない。 だが、彼らの社会の権力関係緊張や階級的制約による経済的困窮は誰が察するだろうか。 写真は見るが研究書は読まない。 現在の自身の不満を思う時抜け出せなくて登場するのが文明に対する拒否感を前に出したシャングリラ(Shangri-la)だ。 典型的なシャングリラのうちの一つはチベットだ。 チベットのダライ・ラマは誰でも分かる。 顔も分かる。 顔以外ならば? 多くの人々がチベットを霊的な国として見る。 しかし果たしてそうか。

見抜く見識がないならば遠くにあるのは凄い事のように思う。 宗教を必要とする人々が土着宗教を信じる場合が多くない理由だ。 遠くて不足して分からないのが尊く思う。 経済学的論理にもそうだ。 近くの宗教も分からないのに遠くにある宗教を分かろうか。 分からないと信頼に切り替えるだけだ。 

どんな理由で偏見を持つようになるのか? 古典がある。 エドワード・サイード(Edward Said)の『オリエンタリズム(Orientalism)』(1978). ドナルド ロペズ(Donald S. Lopez)の『シャングリラの捕虜(Prisoners of Shangrila)』(1998). 色眼鏡をかけることになる過程を広く深く追跡した。


 

日本神秘消えるとすぐに座標失った韓国囲碁
 
強迫は持っても良い。 越える力になる。 囲碁は文化テキスト的性格のために数千年間神秘的に見なされた。 期待が大きかった。 期待が大きいだけ幻想を作らないのは難しかった。 問題はいつ、どのように、適切な時に自ら作った霧をおさめることができようかと思うことだ。

神秘が消えれば困難がくる。 囲碁がそうだ。 ‘作られた日本’が突然地平線から消えたら韓国囲碁は自身がどこにあるかを分かるのが難しかった。 座標で機能した相手がないからだ。 90年代韓国囲碁の自我膨張はそのためだった。 自らすごいと自負したが事実は何が何だかよく分からなかったのだ。 アイデンティティが曖昧になったことは当然だった。 芸道かスポーツか。 目がくらむようだった。 

制限時間もそうだ。 わずか6年ぶりに5時間から2時間に減らしたが思考の深さを軽く見たのだ。 自我膨張以後20年の間は韓国囲碁が自身を失った時期であった。 もうはじめて自身を振り返り始めている。

投射から目覚めれば? 現実がある。 終焉を告げる歴史もなくて平和に包まれたシャングリラも存在しない。 単に宿題と悩みを含んだ日常があるだけだ。 それが現実だ。 突然夜中に敵が攻め込んできたようだが、しかし心配する必要があるだろうか。 悩む事が仕事だ。 それが世の中だ。


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ムン・ヨンジグ

西江(ソガン)大英文学科卒業. 韓国棋院専門棋士5段. 1983年プロ入段. 88年第3期プロ新王戦で優勝、第5期バッカス杯で準優勝した。 94年ソウル大で政治学博士学位を受けた。 著書では『囲碁の発見』 『主役の発見』など多数.