[囲碁人]女流初の500勝パク·ジウン、勝負師気質はどこで...:ニュース:東亜ドットコム
▲パク・チウン9段は女流初の500勝を達成したことに対して“今後も後輩の手本になりたい”と話した。
かわいらしい顔とこぢんまりしたスタイル、そのどこにきつい勝負師気質が隠れているのだろうか。 女流囲碁の歴史を切り開いてきたパク・チウン9段(31)を見ていつも気になる点だ。女流初の500勝を成し遂げたパク9段に22日彼女の研究室で会った。 研究室はソウル、麻浦区(マポグ)、延南洞(ヨンナムドン)ヨンナム派出所そばの建物4階だった。 "外見は弱々しくて勝負欲もないように見えるのに…"とこっそり尋ねた。"私ですか、幼かった時から勝負欲があったようです。 囲碁を真っ最中習う時にお父さんに負けました。 くやしくて泣きましたよ。 しかし泣くとママに打たれました(笑い)."
ママの立場では他人ではなくパパに負けて泣く娘が非難されるべきだったようだ。パク・チウンはいつも'初'という修飾語を付けて通った。 2001年に女流で初めて100勝の山を踏んだし、2003年には女流では初めて農心辛ラーメン杯代表に選抜された。 2008年には女流で最初に入神(9段の別称)に上がった。 世界女流大会では個人戦で5回優勝したし、団体戦では長姉で7回優勝を導いて'ワールド クイーン'と呼ばれた。 国内棋戦でも女流名人戦、女流国手戦で優勝したことがある。パク9段は500勝所感に対して"女流初というのに意味があるとみて後輩の手本になりたい"としながらも"最近の不振がこの上なく注目をあびるのが負担になる"と話した。 彼女は"実際体が痛いが、言い訳のようで…"として成績不振を分析するように見えた。
彼女には2010年から試合途中体に熱が出て息をするのが苦しい症状が現れ始めたという。 最近では平常時にも時々そのような症状が現れると。 病院でも特別な原因を捜し出すことができなくて主に漢方薬でからだをみている。 良くなったり悪くなったりを繰り返す状況という。"ひょっとして運動をしないからではないのか"と尋ねた。 彼女は"幼かった時合気道を習うなど運動は好きだ"として色々な運動を挙げた。 スカッシュも6ヶ月程度して、室内ロッククライミングも習ったとのこと。 最近ではジムで7ヶ月程度筋肉運動をしたという。 ヨガを今でも着実にしている。パク9段に囲碁を習ってから最もうれしかった瞬間を挙げてほしいといった。"入段する時本当にうれしかった(彼女は中2時入段した). 入段がとても難しかったためだ。 その時は入段すればすべてのことが終わりだろうと考えたがやっとある関門を通過したことだということを後ほど知るようになった。 すべての棋士がそうしただろう。 2003年世界大会である正官庄杯で優勝したのも記憶に残る。"彼女に最も記憶に残る対局を挙げてくれと言うとすぐに"囲碁王戦でチョ・フンヒョン9段に勝った時"という返事がまっ先に出てきた。
2002年トヨタデンソー杯で韓国棋士キラーであった依田紀基9段に勝った時、ホジャク杯決勝1局で半目を負けて結局準優勝に留まった時も思い出すといった。
それからタイジェムが主催したルイ・ナイウェイ9段との10回戦を挙げて"その時実力がたくさん増えた"と話した。 2008年世界大会である東洋不動産杯でルイ9段に2-1で勝って優勝して9段に特別昇段した時も話した。パク・チウンは比較的遅い年齢(10才)で囲碁を始めた。 1級実力のお父さんから習った。 引き続きソウル、冠岳区(クァナクク)、新道林洞(シンドリムドン)の囲碁教室に3ヶ月程度通った。 当時パク・チウンは富川(プチョン)に引っ越しすることになったがハグウォン院長が彼女の両親に"素質があるからずっと教えてみなさい"と薦めた。 富川(プチョン)に行っても囲碁塾に通った。 そこには囲碁をよく置いた'兄さん'がいたが8子から置き始めて1年で勝った。 小学校4学年の時であった。 "囲碁が本当におもしろかった時"と話した。彼女は中学校1年の時韓国棋院研究生に入った。 女子研究生制度がなくて男女を一緒に選んだ時期だった。 初めは4,5,6組をぐるぐる回って停滞期を送った。 そうするうちに1組まで上がった。 各種アマチュア大会に出場して陽川(ヤンチョン)囲碁道場で朝から夕方まで囲碁勉強をしたのが実力向上の要因だった。 道場はプロ棋士が師範であったし、パク・ヨンフン(9段),イ・ダヘ(4段)ホン・ミンピョ(8段)等と習った。パク9段は"碁を打っていると詰まる時がくる。 それでも囲碁をずっと置いて勉強を積んでいくならばある瞬間悟りを得る。 囲碁はそのような形でずっとアップグレードされるようだ"と話した。彼女は自身の棋風に対して"幼かった時は無条件で力囲碁が好きだった。 攻撃して捉えに行くところに喜びを感じた。 今は実利も好きだが厚く置こうとする。 棋風は変化を続けるようだ"と話した。パク・チウン9段(左側)が同僚らと運営する弘大(ホンデ)研究室でキム・ドンホ4段と碁を打っている姿.
パク9段は現在同僚棋士らと弘大(ホンデ)研究室を運営して4年目になる。 研究室を運営することになったのは囲碁勉強をする所が必要だったため。 一人でオフィス賃貸料を出すのが困難でパク・ヨンフン9段とソン・テゴン9段などに助けを乞うた。 快く応じた。
初めは弘大(ホンデ)の前の小さい研究室だったが会員が増えてヨンナム派出所横に移した。 現在の会員は本人を含んでパク・ヨンフンとソン・テゴン、イ・ヒソン9段、ホン・キピョ6段、チェ・キフン、ユ・ジェホ5段、キム・ドンホ、イ・ホボム4段、パク・チヨン、キム・ミリ3段など11人. 本来は14人だったが3人が囲碁常備軍に選抜されて会員が減った。 研究室では月曜日ごとに新型定石などに対して研究会を持って平日には自らのリーグ戦を行った。 だが、この頃は試合が多くて一時中断して自由に棋譜を見て勉強をしている。パク9段はイ・ヨンシン、カン・スンヒ、ユン・ヨンミン プロと親しくすごしたが最近は頻繁には会えないという。 実家から出て弘大(ホンデ)付近に住んでいるといった。 自炊するのかと尋ねたところ"料理はよくできなくて主に買って食べる"という答が帰ってきた。 中国には囲碁大会のために50,60回程度行った。 初めは中国の食べ物を食べられなかったがこの頃はよく食べると。あなたにとって囲碁とは何かと尋ねた。"碁を打つ事が良かった。 私には生活とすることができる。 だが、今年のはじめには体があまりにも痛くて休職届を出すまで考えた。 くよくよした。 この頃は囲碁にオールイン出来ずにいる。 体が支えてくれない。 愛憎関係といったところか。 だが、今後も熱心にしたい。"
ユン・ヤンソプ専門記者lailai@donga.com