必ず勝つ、しかしケガをする事は願わない 
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呉清源先生を見たかった 

すさまじい勝負10回戦. 歴史の中に消えて二度とないと思った10回戦. 

イ・セドル-古力10回戦が開かれるという話は何回かあった。‘ないかもしれない。’ とあいまいになっていたその10回戦がいよいよベールを脱いだ。 

1月初め、イ・セドル-古力10回戦取材を引き受けたところ、ある日刊紙先輩が “良いだろう。 歴史的な対局を見るとは。” といった。 その先輩もイ・セドル-古力10回戦の開始である第1局を見たかったが状況が不如意だったようだ。 

名前だけ聞いた現代版10回戦を見るという程度でだけ考えていた私としては改めて‘ラッキー’という気がした。 

今回の10回戦ではひょっとして呉清源先生に会うことができないだろうかと期待した。 

生きた棋聖としてあがめられる呉清源先生は10回戦の代名詞ともいうことができる。 幼い年齢で日本に渡っていった彼は1939年から1955年まで17年間11度の寸法固定で全部勝利した。 日本が放つ優秀な棋士-藤沢朋斎、木谷実、坂田栄男ような人が中国の天才棋士の前に崩れ落ちた。 その当時10回戦は4版は寸法が固定される残酷な勝負であった。 

新聞社が主催する棋戦が生じた以後10回戦は影を潜め歳月が流れた。 囲碁界に文でだけ彫られた10回戦が再び姿を表わしたので、呉清源先生ならば当然熱い関心を持つことが明らかと考えた。 

呉清源先生は韓国囲碁が世界最高の席にあった12年前ぐらいにこういう話をした。
“韓国天才が世界囲碁を制覇したが今後中国経済が発展して中国の天才が光を見るだろう。” 

すごい。 そのとおりになった。 古力が出現して世界囲碁界を牛耳ったし、‘90後’というタグを付けた彼の後輩はさらに恐ろしく勢力を形成した。 韓国囲碁が押し出されている。 

また、先生は当時、“私は100才まで生きようとする。 だからしなければならないことが多い。”とした。 今がぴったり100才だ。 ところが100才は少ない年齢ではない。 呉清源先生はあまりにも年老いていて飛行機に搭乗することはできない。 やはり先生はイ・セドル-古力10回戦が広がる現場に来られなかった。 

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▲癌闘病中でやつれた中国元老棋士ニェウェイピンと彼の娘.

代わりに、ニェウェイピン(聶衛平) 9段を見ることができた。彼は中国で尊敬を受ける元老棋士のうち1人だ。大腸癌にかかって闘病中である彼は3番目夫人からの年老いて産んだ娘と共にイ・セドル9段と古力9段の10回戦第1局の立会人として出てきて対局規定と注意事項を朗々とした声で読み終えた後席をはずした。 かなり回復した方とはいえ肉づきが少しあった彼の顔はとてもやつれていた。 病気によるものとはっきり感じられた。 残念だった。 





ぴょんぴょん走るイ・セドルの王女様、ヘリム 

1局が開かれる前の25日は仁川(インチョン)空港から北京に取材にたつ日だった。 3時15分出発の飛行機便で、北京現地では簡単な晩餐がある予定だったのでそれまでに到着しなければならなかったが適時に出発できなかった。 30分遅れて出発することになるとすぐに機内では乗客に謝罪放送があった。 

北京で晩餐場所まで行く所も車が詰まった。 結局現地時間6時に開く晩餐に40分遅く到着してしまった。 荷物も解けないまま晩餐会場に走って行ったが、とても静かな雰囲気の中で大会関係者たちとスポンサー夢百合のニゴンジャン会長とイ・セドルと古力が食事をしていた。 関係者に耳打ちで選手たちのコメントが少しあったのかと尋ねると何の話もなかったらしい。 ‘まさか!?’ ‘熱い友情を誇るイ・セドルと古力が挨拶の言葉さえかけなかったという話なのか?’そういえば開幕式は昨年11月末にした。 

再び選手たちの所感を尋ねる‘重複’を犯しはしないだろう。 とは言え何の話もなかったのかと思ったが、本当になかった。 イ・セドルと古力は近くに座ることもなかった。 勝負を競って友情を積み重ねたイ・セドルと古力だが軽い話さえしなかった。 初めはすぐに理解できなかったけれど即座に頭がうなずいた。 大勝負を控えてそれはお互いのための配慮であった。 

晩餐を終わらせて所感でもちょっと尋ねようとしたがイ・セドルも古力もすぐに席を離れて自分たちの部屋へ向かった。 あまりにもはやくて追いかけて行くこともできなかった。 

韓国から考えていた晩餐会場で仲むつまじくご飯を食べるイ・セドル家族の姿さえ写真に収めることができなかった。 ヘリムさんと夫人キム・ヒョンジン氏は部屋にいた。 




2006年9月3日イ・セドルの娘ヘリムは3.58KGで生まれた。 双子でない女の子新生児では体重がちょっと出る方だった。 今年で8才になったヘリムさんは2012年8月カナダに渡っていってママ キム・ヒョンジン氏の保護を受けて留学をしている。 このために一人暮らしの父になったイ・セドルを心配するファンたちもいる。 昨年の不振は家族と離れて過ごすという事情と結びつける人もいた。 夫人と娘が北京にくるという言葉に記者は期待をいっぱいした。 

キム・ヒョンジン-イ・ヘリム母娘は23日カナダを出発、24日イ・セドルと会ったし25日昼間に北京に到着した。 幼いヘリムさんにこのような旅行は強行軍だった。 疲労に勝つことが出来なかったヘリムさんは深い眠りに陥った。 残念ながらイ・セドル家族のために準備されたテーブルにはイ・セドルだけが座った。 

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▲対局日の朝食イ・セドルと彼の家族.

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▲珍しいように対局場を見回しているイ・セドル娘ヘリムさんと娘を写真に収めるママ キム・ヒョンジン氏.

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▲ヘリムさんがパパ イ・セドルの頬にチューをしながら応援をした。

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▲キム・ヒョンジン氏とヘリムさん.

だが、対局日朝には対局場をぴょんぴょん飛び回るヘリムさんを見ることができた。 ヘリムさんは囲碁が何かよく分からない。 パパが何をすることになることなのかもよく分かっていなかった。 対局開始までわずか10分程度しか残っていないのにイ・セドルが先に対局席に座った時もヘリムさんは碁笥の蓋を開けてみたりパパにぶらさがっていたずらをした。 イ・セドルは全く意に介さなかった。 パパと娘のこの幸せな瞬間を誰が邪魔することができるだろうか。 

事実私は対局場でこのような光景は初めて見た。 厳粛なだけの対局直前には関係者や記者たちは息さえ大きく出さない。 騒音と大きい動作はタブー視される。 対局者が茶を注ぐ音が聞こえるほどだ。 このように‘対局者の子供がきていたずらをしてもいいのだろうか’という考えで思わず緊張したが、実際に見栄えが良かった。 

キム・ヒョンジン氏は対局場で娘の写真を撮ったし娘はあちこちを見物してパパにチュー応援までした。 中国媒体の記者たちもヘリムさんを可愛がった。 残酷な血の勝負10回戦とチュー応援する幼い娘の可愛いしぐさは灰色とオレンジ色のように強烈な対比を成し遂げた。

以前の10回戦は暗くてすさまじいイメージが大部分だったが現代版10回戦は何か溌刺として祭りのようだと前から思ってはいたが、ヘリムさんによってそのような色ははるかにより増した。 少なくともパパ イ・セドルには最上の喜びを与えたし緊張を緩和してコンディション調節に一助となっただろう。 

古力が対局室に入場するとすぐにヘリムさんはママの手に引きずられてフォトライン外側に出てきた。 

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▲イ・セドルの夫人キム・ヒョンジン氏は囲碁をほとんど知らない。 キム・ヒョンジン氏は囲碁に関することは夫を通じて聞く。 イ・セドルが10回戦1局で勝った後ヒョンジン氏はイ・セドルの名札を記念にもらうと持ち出した。





食欲旺盛なイ・セドル 

韓国では対局が10時に始まったが現地では9時であった。 撮影許容時間15分が過ぎて対局室は封鎖された。 各自3時間55分に秒読み60秒5回だったから終局は現地夕方7時や8時程度に終わる長い勝負になると思った。 

昼休みが用意されてはいなかったが昼食を選手たちに与えないということではなかった。 対局場そば休憩室にはおやつと食事が準備されている。 スタッフは対局場から出るかも知れない選手のために緊張しながら待機する。 私は選手たちがご飯を食べないのかもしれないと考えた。 重要な碁を打つのにご飯の事を私は考えた。 特に大きい対局期間には睡眠もよくとらないし、ご飯もよく食べないイ・セドルならば食事をしないこともあると思った。 

ところが古力は自身が願う食べ物をあらかじめ言っておいたしイ・セドルもまた、普段とちょっと違った。 イ・セドルは午後12時をちょっと越えるとすぐに対局室ドアを開けて出て休憩室に入った。 選手が願えば直ちに食べられるようにスタッフは早く動いた。 イ・セドルは普段好む、途方もなく辛いという‘辛’ラーメンとのりまきなどを食べた。 

イ・セドルは10分程で食事を終わらせた。 のりまきはプルコギが入っている。 見かけは少量でも実際にはとても満腹感を与えるということだった。 韓国料理の代わりに中国料理が出てきても何の問題はなかっただろう。 イ・セドルは中国の食べ物をとてもよく食べる。 どの程度かと言うと、中国で十数年生きながら中国人と食欲がほとんど同じになったイ・ヨンホ氏と似る。 しかもイ・セドルは中国リーグを走りながら中国を自分の家として出入りするような状態なので、ほとんどのアウェーの競技で行われる10回戦がイ・セドルに不利だという憂慮は大きく心配しなくても良い気がする。 

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▲兄イ・チャンホが中国日程があるたびにマネジャー役割をしたイ・ヨンホ氏が今はイ・セドルが最上の状態で対局することができるように助けている。 写真はイ・ヨンホ氏がパパの対局を待って寝ついたイ・セドルの娘ヘリムさんを抱いて宿舎に移動する場面.

 

イ・セドルはイ・ヨンホ氏と冗談を言いながらすぐに食事を終わらせた。 イ・ヨンホ氏はこのように冗談を言うのは選手にとても役に立つことだと信じた。 “ご飯食べる時表情なしで囲碁話をすればそのご飯を食べられますか?”と尋ねるのがイ・ヨンホ氏の持論だ。 イ・ヨンホ氏は本来はイ・セドルの通訳だけを引き受ける予定であったが10回戦の話が進むにつれて役割がちょっと追加された。 イ・セドルが10回戦をするのに必要な諸般の領域を引き受けることだ。 

イ・ヨンホ氏は兄イ・チャンホが中国に競技しにくるたびに一挙手一投足、影のように遂行した経験を実の弟のような棋士イ・セドルのために発揮するだろう。 “イ・セドル9段と永らくつきあってみるとわかるようになった。 彼は度胸が分厚くて義理のある人物だ。”と話す。 イ・ヨンホ氏は10回戦1局が終わった後イ・セドルと夫人と娘の北京観光もガイドした。 





若い後援者ニジャンゴン会長 

今回の10回戦を後援するニジャンゴン夢百合(Mlily)会長は37才だ。 若い。 
今回の機会で知るようになった彼の特徴は‘華通である’というものだ。 自身が心に決めたことがあるならば前後測らないで強力に押しつけるスタイルだ。 10回戦に歴史的背景を聞いて魅力を感じて“それでは10回戦を作ろう。”と決断するまでわずか30分だったという。 


※華通
自然の幽玄 理に通すこと。
(性格や 考え、 態度 などが)目詰まりなし
大の男
 

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▲スポンサー夢百合ニジャンゴン会長.

ニジャンゴン会長は一時囲碁と心が遠ざかったという。 中国の最高級棋士がイ・チャンホ9段をはじめとする韓国のわれこそはと思う棋士に無数に崩れるのを見ながらそうなったという。 ところがもう中国棋士が世界を制覇している。 ニジャンゴン会長は梦百合杯も後援していてアマチュア大会も後援する。 容貌が優れていて成績も良い黒嘉嘉6段を特別な悩みなしで梦百合を代表する公式モデルとした。 

10回戦1局前日夜も、1局が繰り広げられる日もニジャンゴン会長は時々碁を打った。 中国記者とも置いて、関係者たちとも置きながら相手を選ばなかった。 囲碁を本当に好む人だった。 




熱かった10回戦初めての対決 

26日中国北京カンウィエルルイティン ホテルで広がったイ・セドル-古力10回戦1局はイ・セドルが勝った。 序盤が特に強い古力にまきこまれたようにイ・セドルは実利で非常に遅れたまま序盤を送ったが中盤から頑張った。 古力が若干オーバーペースで下辺付ける手を懲らしめたし右側をずらっと押して壁を作った後中央で相手の石を容赦なくたたいた。 終盤が近づきながら古力が一時を惑わしたがイ・セドルは無事に終えながら降書を受けた。 
 

復碁をする間もなく二人は公開解説場に呼びだされた。 雲のように集まったという話がぴったりなほど公開解説場は大変な混雑になった。 韓国からきた記者とディレクターは‘おお、うらやましい’という言葉を自ずと吐いた。 中国囲碁ファンたちは老若男女が等しくいたが自分にマイク順番がくると思う存分質問した。 一流棋士になるにはどのように勉強しなければならないかとの問いから中盤の読みのポイントを尋ねる高段者の問いまで多様だった。 古力はたった今重要な戦いで負けた人というのが合うのか傾げるようにするほど連続してゲラゲラ笑って答えた。 おそらく勝敗を離れて一生のライバルと繰り広げる10回戦に喜びがあったようだ。 

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▲中国はどんな世界大会よりも今回のイ・セドル-古力10回戦に大きい関心を注いでいる。 '90後'が脚光を浴びるがイ・セドルと古力が持つカリスマと象徴性は中国でとても大きい。

 

多く戦いながら友情を積んだライバル、イ・セドルと古力は疲れることを忘れたまま対局を行ってファンたちとコミュニケーションして再び対局場に行って復碁をした。 まさに天が出した10回戦の主人公のようだった。 


 

イ・セドルは10回戦が引分けで終わることを願うという。 ところが絶対負けない心づもりとのことだ。 言葉自体は矛盾だ。 引分けであることを望むのは古力や自らの心が大きくケガするのを願わないという意だ。 絶対負けないということは宿命の勝負師で当然の心である。 夫人キム・ヒョンジン氏は‘夫は10回戦というものは敗れる場合棋士生活をこれ以上出来ない程危険なことなのに、それでも私はこれをしようとする。 そしてこれを楽しむ。’と言う。 

友人間だが勝負師にとって勝負をつけなければならないのは宿命だ。 イ・セドルと古力は必ず相手を折るためにすさまじく10回戦を行っていくだろう。 相手がケガしないことを切実に望みながら。 

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▲始まったら半分終わったも同じだ。 イ・セドルが10回戦1局で勝利した。

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▲公開解説場に中国囲碁ファンたちがいっぱい集まった。 老若男女が等しくいて対局現場に訪れる人が多いということはうらやましいほどの要素だ。

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▲古力はイ・セドルと会うのが楽しい。 1局で負けた事実は笑い飛ばした。

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▲取材から帰ってきた日1月27日金浦(キンポ)空港. 飛行機は蕾を開いたように開放的な態度で乗客を地上に下ろす。