世界ランキング1位は中国のスウェ9段 

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▲ペテイル博士のランキング算定によれば2014年1月世界ランキング1位は中国のスウェ、2位はパク・ジョンファン、3位はキム・ジソクが占めた。 (写真左側から)


2013年末までの対局資料により2014年1月世界プロ棋士の総合ランキングを計算して上位100人の点数を発表する。 世界ランキングであるから名前をハングルだけでなく漢字とローマ字で表記した。

スウェ、パク・ジョンファン、キム・ジソクが最近上昇の勢いを見せるのでこれらの勝率が高い。 スウェは去る10,11,12月の3ヶ月の間甲級リーグ主将戦で6勝1敗、ペナント杯決勝で2勝0敗、三星火災杯で3勝2敗、珠鋼杯でで5勝、リカン杯で2勝、ヨンソン戦で1敗の戦績を上げて合計が18勝4敗だ。 同じ期間の間パク・ジョンファンは24勝6敗、キム・ジソクは13勝5敗の戦績を上げた。 

キム・ジソクを除いては1から10位までの棋士皆世界大会タイトルを取ったことがある。 言い換えれば、キム・ジソクは世界大会タイトルを取ることができる十分な実力があるという意味である。 

毎度発表する世界ランキングはその当時の点数を現わすので棋士の実力をさらに詳しく把握するためには長い期間の間の点数変化を見回した方が良い。 韓国棋士中でイ・セドルとパク・ジョンファンを選んで中国棋士中で古力とスウェ、チョニャオイェを選んで去る5年の間彼らの点数がどのように変わってきたのか[図1]に描いた。 

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▲ [図1]韓国と中国最強棋士の5年間の点数変化

2009年春に古力がLG杯決勝でイ・セドルに勝って彼を追い越したが、直ちにスランプに落ち点数が降りて行き始めたし、イ・セドルも似たように点数が降りて行った。 この頃コンジェが世界タイトルをいくつか取得したし、世界ランキング1位に上がった。 しかし当時パク・ジョンファン、スウェ、チョニャオイェはイ・セドルと古力より点数がずっと低くて彼らのランキングを威嚇する位置になかった。

2009年下半期に休職に入ったイ・セドルは翌年1月復帰して心機一転して驚くべき実力を発揮、24連勝をすることもした。 これに伴い、彼のランキング点数は2010年5月に2009年初めよりさらに高まったし、1年超えて高空行進を継続した。 しかし古力は2010年と2011年初めにも引き続きスランプに落ちていて、2011年3月から徐々に回復した。 

若いグループでは2009年初め頃にはスウェが最も点数が高かったが、彼がほとんど2年の間足踏みしている間パク・ジョンファンとチョニャオイェの点数が上がった。 2011年中盤にはパク・ジョンファンがスランプに落ちた古力を抜いて2位に上がったこともあったし、2012年中盤ぐらいには世界ランキング1位に上がることもした。 その後パク・ジョンファンはスランプに落ちて2013年4月以後点数が再び上がり始めたし4月から12月末まで66勝20敗で76.7%の高い勝率を記録した。 

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▲ [図2]韓中最高棋士の去る3年間の点数変化

[図1]の2011年以後の点数変化をさらに拡大して[図2]に描いた。 古力とイ・セドルの点数変化を比較すると2012年9月まではイ・セドルが明確に優位にあったが、その後の点数を平均すれば古力が若干優勢だ。 古力の点数を年度別で平均すれば彼の2013年平均点数が2010年で2012年の平均点数より高いことが分かる。 長期的に見れば彼がスランプから抜け出して活躍が大きくなったことが分かる。 

また、一つ指摘することは2012年秋以後にはこれら5人の点数を現わす線が互いに交差してからまるということだ。これは現在の最上位グループの実力が似ていて、ある1,2人が残りの棋士より飛び切り優勢だった時代は過ぎ、群雄割拠時代に進入したことをいう。[ペテイル博士] 
2013年分
【世界ランキング】2013年11月分(1位時越、2位イセドル、3位古力、30位井山) 

【世界ランキング】2013年7月分(1位時越、2位陳耀燁、3位檀啸、69位井山)
【世界ランキング】2013年4月分(1位イセドル、2位古力、3位時越、38位井山 )
【世界ランキング】2013年1月分(1位イセドル、2位古力、3位陳耀燁、34位井山)  

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