CYBERORO
日本囲碁を見て韓国の囲碁を考える
日本棋院探訪記

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▲日本棋院5階に位置した対局室幽玄。 挑戦碁のような主要対局が開かれる空間であり、歴史に残る多くの勝負がここで繰り広げられた。 静まり返っている畳の部屋で作られたこの部屋に入ると自ずと名局を打つような気分になる。


この記事は武宮正樹9段インタビューで日本に行った時に日本棋院を訪問して感じた所感です。 



記者が以前日本棋院を訪れた時はしっかりと覚えていない、おそらく2000年1月、農心辛ラーメン杯を取材する時が最後ではなかったかと考える程久しぶりでした。

20年余りが過ぎて再び訪問した日本棋院は1階にあった書店とレストランがなくなって、その場に一般講義室が位置していましたが、全般的に以前のままの姿を維持していました。

ところが、記者の心情は以前のままではありませんでした。 多少複雑で息苦しかったといいましょうか。

日本棋院に続き‘依田囲碁教室’を訪問しました。 かつて‘韓国棋士キラー、イ・チャンホ キラー’として名声が高かった依田紀基9段は韓国ファンたちにも良く知られていますね。

‘依田囲碁教室’の日本の子供囲碁教育現場を見たくて、日本棋院インターネット事業課出対局部門を総括している原幸子常務理事に頼み込んで同行しました。 原常務理事はプロ4段で依田9段の夫人です。 結婚も済州島(チェジュド)でしましたよ。

日本取材文を二編に分けてのせます。 1編日本棋院訪問記は‘取材手帳’形式のコラムで、2編日本の子供囲碁教育歴史と現況を紹介する文は依田囲碁教室を取材した写真を添えて探訪記形式でのせます。 




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▲日本の東京にある日本棋院。




根が深い木は風に揺れない。 

20~30年前、韓国囲碁がブレーキのない機関車のように暴走する時、なので1990年~2000年代に世界大会で20連勝を謳歌して気兼ねなく‘世界最強うんぬん’する時、この時だけでも実力的に2等国に転落した日本囲碁はいつの間にか没落した。

韓国が現代囲碁を彼らから習い、坂田栄男9段のような最高級棋士が訪韓する時は空港にまで出て行って出迎えた時期があったので、‘越えることが決して容易ではないと思った日本’を足の下に置いた時、快感は極に達した。

天下を得たようにし、恐ろしいことがなかった。 顧みれば韓国の好い時節だった。

そして、20~30年が流れた今、日本女流ランキング1位(男性ランキング1位ではない)藤沢里菜3段が出場できる棋戦が20個を越えるという日本棋院職員の話に、韓国囲碁の現実を思い出しては言うべきことを失った。

韓国がどれくらい意気揚揚だったのか、軽はずみだったのかを悟った。

そのように遠く見えた日本囲碁が1990年代初めを基点に、突然国際舞台では三日におかゆ一杯も食べられない人のように力や元気を取り戻すことができないのだが、彼らは歩いてきた慣性のせいなのか、包まれた磁性ためなのか熱心に変わろうとする姿を見せず、たとえば変わりなしに3大棋戦に二日制の囲碁(制限時間8時間囲碁)を守っていて、変化を恐れたあげく世相に合わない制度に固執することだと韓国は感じた。

早碁戦になじむ韓国では彼らが価値を置いて守ろうと思う伝統を島国の閉鎖性、あるいは慣習に寄り添った安住ぐらいに軽く見た。 

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▲日本に行った日はちょうど名人戦挑戦7回戦2局が開かれていた。 昨年、高尾紳路(右側) 9段が、井山裕太 9段が保有していた名人タイトルを奪って'井山の7冠王'を崩れさせたことがあるが、今年は逆に防衛に出て、また、初戦(挑戦1局)を飾って気勢を上げた。 だが反撃に出た井山9段がすぐにこの挑戦2局から残りの四対局を続けて勝って2度目の7冠王神話(2017.10.17)を作った。



写真は東京椿山荘東京ホテルで開かれる42期名人戦挑戦7回戦2局前夜祭と解説会に参加する会員を募集する広報物だ。 日本は3大棋戦(棋聖、名人、本因坊) 7番勝負を誘致する場所を1年前に予約を受けて、対局に先立ちこのように広報物で事前に観戦予約会員を募集する。

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▲超早碁囲碁が大勢に位置した時代に彼らは相変らず制限時間8時間、二日かけておく伝統を守る。


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▲棋戦、特に棋戦の花という決勝戦に先立って行われる前夜祭のようなセレモニーを果たして単純な格式といえるだろうか。 挑戦碁を誘致した地域の主要人事と招待を受けた囲碁ファンが入った前夜祭で、両対局者がやりとりする臨戦所感、二日間毎日午後2時から終局まで進める解説会もまた挑戦碁の一部であり伝統だ。 もうほとんどすべての対局をスタジオで行ってしまう韓国に比較すれば決して'彼らだけのリーグ'ではない。


名人戦挑戦2局解説場でうれしくも解説者として出たキム・スジュン8段の顔を見た。 もう彼も髪の毛が明確に抜けていたが一目で分かった。 解説場は満杯になった。 20~30余年前もこうだった。

その時も白髪混じりである老人たちがほとんど位置したが、歳月がとうに過ぎても相変わらずだった。

正直、以前には分不相応に内心このような心配で震えた。 "みな老人たちだけなのだがこれらがさらに年を取ったら誰がこの席を埋めるだろうか。 このような解説会が維持されることがあるだろうか。"そう思っていたので驚いた。

韓国は無料で公開解説をするとしても席を埋めることはできなくて戦々恐々とした事が長いのだが、日本は前夜祭参加費に8000円、解説会に1000円の参加費があっても定員をふわりと越えるファンたちが入る。

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▲過去と現在が共存する空間で……

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▲揺れる夢路を歩くように対局者はこのような道を歩いて……

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▲このような風景で囲まれた部屋で碁を打つ。-椿の公園で有名な椿山荘東京ホテル。





泉が深い水は乾かない。

伝統ということ、底力というのは一歩遅れて実感する時、さらにすごいことを知るようになる。

それから30余年が過ぎても日本囲碁が前に出す7大棋戦は中間にスポンサーが変わっても相変らず一定規模を維持していて、彼らの方式そのまま行っている。

もちろん、韓国が‘大石キラー’として十分知っている加藤正夫9段のような人が日本棋院理事長を歴任する時はシステム革新に全力を尽くしていた。

そのように見れば棋戦の予選方式を変更して、研究手当てでも(一部棋戦ではあるが)予選対局料をなくすなど敏感な事案を公論化して果敢にメスを当てたのは彼らが韓国より一歩先に立っても勇敢な対処であった。 (そのまま行っていては共倒れになることが自明なので、やむをえず強く押そうとしようがいずれにしろだ。) 

国際舞台を両分してきた韓国と中国のきらびやかな踊りに埋められて、ある瞬間から目につかなくても、いや、韓国が省みない間にも彼らはその場でそのように静中動の姿で流れていた。

これまで韓国はスポーツだ何だと囲碁のアイデンティティを再定義して再確立する過程を体験した(または体験している中)。 

若者たちが囲碁を冷遇する時代、彼らはどうして危機意識を感じずに変化を深く考えないのだろうか。 まだ大きい空白に鳥肌を立てないで維持している日本囲碁界がうらやましいと話したところ、このように答える。 

“日本は江戸時代から、数百年の伝統があったからです。”

韓国よりはるかに長い囲碁の歴史と伝統を持っているのでそれだけ社会的に、文化的に強硬に根をおろせて、国民に精神的に占める比重がまだ少なくなくて、そのおかげをこうむるという言葉だ。

彼らも韓国と同じように危機意識を感じていることで、確実にねぎらいで言う言葉のようではなかったが、当初日本囲碁は韓国囲碁と比べるほどの対象ではなかった。

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▲二十才もならない(98年生まれ)プロ3段の女流棋士藤沢里菜(左側)が一年出場できる棋戦が20個を越えるという言葉がうらやましかった。

藤沢秀行9段の孫娘としてかつて韓国に知らされた藤沢里菜3段は、現在日本女流名人と女流本因坊を両手に握った女流ランキング1位の棋士だ。 そうだとはいえ韓国のランキング1位パク・ジョンファン9段よりはるかに多くの棋戦に出場できるということは歴史と文化と環境と経済水準など他のものを推し量らなければならないでしょうが、そうだとはしても日本舞台が決して簡単ではないことを立証する事例だ。

数十年前から韓国は、"このまま日本をずっと真似ていては滅びる"という声を出した。 間違った話ではないと考える。

改革と変化で未来を準備する時点であって、チョ・ナムチョル先生が移植した日本囲碁の制度を抜け出して韓国の風土と意識に合う韓国式囲碁をたてなければならなかった。

外観を損傷なしで維持しているといっても、カニとかご、日本囲碁がこの二種類を全て握っているかはよく分からない。 ただし現在、韓国はどうなのかだ。 (写真は藤沢里菜3段と謝依旻6段の36期女流本因坊挑戦五番勝負を予告する日本棋院ホームページ イメージ。)




経済復興期には落水効果というか楽しみ前効果というか、静かに座っていても棋戦を誘致したり維持する余地がある。 今、中国囲碁が国家次元で大々的にプッシュされているのは一つこのような経済発展のおかげを享受して疾走しているところだ。

一時囲碁の人気は‘国民所得1万ドルを基点に下落する’という説が回ったことがある。 国民所得水準が高まれば自然に囲碁でなくとも多様な遊びや趣味娯楽に視線を転じる余裕ができることだ。

中国は今後どうなるかわからないけれど、実際の日本がそうだし、韓国もこの時期に変曲点を見せたのが事実だ。 

ところが、日本と韓国の差は、日本囲碁は江戸時代から礼道と文化的次元で数百年積み重ねた伝統が後押ししている反面、韓国はそうでないということ。 見逃した大きい差だ。

韓国にも加熱された経済発展期があったし、引き続き‘アメイジング’した世界大会席巻の時代があった。 ところが、このような黄金期が到来したことに鼓舞されて陶酔したあげく底辺土台を拡張して確かめることを粗雑にした。

目隠しをして前だけ見て走る競走馬のように、成績至上主義にだけ歓呼雀躍しただろうか。

国際舞台での好成績は囲碁活性に触媒剤として作用するのが明らかだが、これにだけ全面的に寄り添った時に迎えることができる局面に最近韓国が対面している。 放送中継と突出した人気スター中心に闊歩して一瞬で薄められたプロ土俵は反面教師に値する。 

時代と環境が急変し、囲碁の人気が以前にはおよばないこの時、日本もまた、上位棋士一定数を除いては対局料で生活を営むのは困難なのが事実だ。

囲碁界の深刻な貧益貧 富益富両極化現象は、程度の差があるだけで、どこの国にしても以前から抱いていた問題だ。 ただし、国内棋戦が顕著に減ってすぐに緊急な問題で台頭した韓国に比べる時、日本は少なくとも外観上、まだ余裕あるように見える。 

海辺に行くと、永い歳月によって形成された平べったい臀部のような砂丘を見ることができる。 軽くできたのではない。 地球は陸地から海に流れ込むあらゆる水を一時保存してきれいにして海に送りだす機能をするのだが、むやみに傷つけてはいけない。

ところが、暮らすことに優先してここを掘りおこして海岸道路をまっすぐに敷いたところが多い。 波の侵食作用を緩衝する中間地帯を喪失したこのような浜辺は、十中八九毎年莫大な予算を入れて他の所から砂を持ってきて埋めなければならない。 例えば文化という砂丘も同じだ。 

日本囲碁に比べて歴史的でも文化的でも、また、こちらで根をおろすことよりはスポーツに変身するのがより良いと判断して馬を乗り換えたとはしても、もうせいぜい十何年、中国勢に押されて国際舞台成績が急転直下した瞬間、韓国囲碁は確実に寄り添う丘、踏んで持ちこたえる当然な足場を固めることが出来なかった物足りなさを十分に味わうことになった。

少なくとも外観上、日本囲碁は健在だったし、相対的に韓国囲碁は困難な局面に直面した姿を帯びて無為にしてみる考えだ。 

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▲囲碁を習う若者が減るのは韓国や日本でも共に抱いている悩みで、急いで解決策を見出さなければならない課題だ。 日本もまた、子供囲碁教育で出口を見つけている。 (写真提供/日本棋院)



外観上健在に見える’日本囲碁も色々な内部事情はあるだろう。 20余年以上繰り返している世界大会成績不振は当面の悩みだ。

80年代までしても日本囲碁は世界を代表する最強の舞台だったが、今は世界大会8強に入ることさえ困難な姿を見せている。 これに対して武宮9段は、“日本囲碁の不振は囲碁を習う子供が少なくなったため”と話して、“囲碁の良い点を両親たちが認識して幼い時から囲碁を始める子供が増えれば韓国、中国と肩を並べることができると見る”と期待した。 

garbage-in garbage-outという言葉がある。意訳すれば'豆植えたのだが豆出て、小豆植えたのだが小豆出る)’という言葉だ。 ※『無意味なデータ』をコンピュータに入力すると『無意味な結果』が返されるという意味。

当初はゴミのようなデータが入ればゴミのような情報が出てくることを懸念して比喩した話だが、ビッグデータに関する技術が以前とは比較できないほど進歩した最近は、細部的にデータのエラーを選び出して整えるツールを備えたので、できるだけ膨大なデータが必要だ。

中国囲碁の勃興は、そうでなくても、ものすごい人口で以前より囲碁を習う子供がはるかに多くなったためだ。 韓国と日本はそうでないので後れを取ることだ。 考えることもない簡単な道理だ。

以前、日本囲碁は‘木谷道場’のような師弟式内弟子システムで棋士を養成した。

子供時期、韓国でイ・チャンホのライバルと言われて日本に渡っていった柳時熏9段世代までも内弟子生活を当然に受け入れた。

今はどうだろうか。 現在、日本囲碁第一人者である井山裕太(89年生まれ) 9段は‘ヒカルの碁’を見て入門して大成した。 大阪で囲碁勉強をし、東京に留学したり内弟子に入ることもなかった。

特異な事例ではあるがそれだけ時代が変わったのだ。 ただ、武宮9段だけでなく多くの棋士が子供囲碁教育で未来を救っている。 

それでは、日本の囲碁教育はどのように成り立っているだろうか、気になった。 韓国とはどれくらい、どんな面が違うのだろうか。 日本も放課後教室のような物をしているのか。

本当に久しぶりに日本棋院を訪問して、あちこち感慨に充ちた気持ちで見回してカメラに収めて、およそ的ではあるが日本の子供囲碁教育を覗いて見たくなり、別にお願いして‘依田囲碁教室’を探訪した。 子供囲碁教育は、韓国の未来がかかったことだと。 

(次回では日本子供囲碁教育の歴史と現況を依田囲碁教室探訪写真と付け加えて紹介します。)

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▲日本棋院1階ロビーに入ればすぐに出会う'7冠王井山裕太9段'フォトゾーン。 模型と記念写真を撮ることができる。


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▲日本棋院1階で見ることができるものなど。

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▲雨が若干降って天気が良くない日だったのだが、1階講義室には午前の早い時間から指導多面打ちを受ける会員たちが席を満たしていた。 予想外に女性会員が多かった。

平日午前でなくてもこのような席で若者を見ることはないけれど、新世代が囲碁を習わないと嘆きだけしているのでなく、100歳時代になってしまった今、囲碁はシルバー世代にとっては多くの楽しみであり慰安だということを浮上させて最大限活用する時だ。

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▲最もうらやましかったのはここ。地下1階に用意された囲碁殿堂資料館。 以前訪問した時は見なかった(2004.11オープン)所だ。

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▲韓国棋院も2020年頃、華城市(ファソンシ)の東灘(ドンタン)に囲碁会館を新築して移転すれば囲碁博物館をリリースするので期待してみる。

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▲東灘(ドンタン)に新しく入る囲碁会館(韓国棋院)は変わるだろうが、現在ソウルの城東区(ソンドング)に位置した韓国棋院には、時々囲碁が好きな中国や日本観光客が訪れてくる時がある。 ところが、彼らに確実に見せるものがない状態だ。

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▲ついでにうらやましいところを一箇所さらに……。数十年前からこのような空間を夢見た。 日本棋院がサイバーオロと提携してサービスしているインターネット対局室'幽玄の間'は、まさにこの対局室'幽玄'から取ってきた。 日本棋院対局室のうちで最も広々とした部屋で挑戦碁や本戦対局のような主要対局をここで行う。

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▲対局室'幽玄'

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▲日本棋院5階は'幽玄'のような特別対局室や本戦対局室として全て使っている。 '幽玄'から出て廊下を眺めるとこのような姿だ。 (アッ、石田芳夫9段が撮った瞬間出てきた。 ^^)右側へ'幽玄'よりは小さい名札がかかった対局室が3つさらに並んでいる。


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▲これら三対局室の大きさは同じでこのような姿だ。

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▲日本棋院も悩みが多い。 若い世代が囲碁を冷遇して囲碁市場が狭くなっていて収入も減った。

インターネット産業という新しい収益モデルができたとは言うけれど、強硬に支えた出版市場は縮小一路に置かれ、段証発行収入も限界を見せる。

それでも彼らは根元が深くてまだ中心を捉えていきつつある。 韓国は? インターネット囲碁や囲碁放送、子供囲碁教育に対する肯定的な認識など韓国はまた、韓国なりに利用可能な資源を持っている。 新しい姿勢で始める時だ。

原文記事:CYBERORO