タイゼム - 大韓民国1位囲碁サイトTYGEM.COM

第一人者パク・ジョンファン、新しい時代を開け!

中国1位コ・ジェを撃破して韓国ファンたちの念願を叶えたパク・ジョンファン

215922DSC7714
▲韓国1位パク・ジョンファン(左側)の前に中国1位コ・ジェが首をうな垂れた(上海-イ・ヨンジェ記者)。 



パク・ジョンファンがやった。

'囲碁オリンピック'応氏杯8強戦で繰り広げられた韓国1位パク・ジョンファンと中国1位コ・ジェの避けられない一本橋血みどろの戦い。 勝者は不動の韓国第一人者パク・ジョンファンだった。

中国囲碁界のニュースメーカーコ・ジェが去る1年の間'世界3冠王'に上がって連日話題をさらった時、一部ではその責任をパク・ジョンファンに回して非難の矢を放った。

その時ごとにパク・ジョンファンは痛い心を隠して"さらに努力する"と念を押したりした。

多数のファンたちがパク・ジョンファンの名前の後につける多少不名誉である修飾語がまさに'国内用'だ。 だが、覚えているだろうか。 '国内用'というニックネームの元祖がイ・チャンホだという事実を。

記者はパク・ジョンファンが今年の初めチョ・ハンスンの挑戦をはね除けて国手戦2連覇達成に成功した時、インタビュー記事を通じてイ・チャンホも'国内用'という批判を受けた時があったという事実を想起させたことがある。 その時も今もしたい話は全く同じだ。 パク・ジョンファンに必要なことは叱責と非難ではなく暖かい激励と真心に充ちた応援というものだ。

非公式大会を含む通算140回に達する優勝記録を持っていて、メジャー世界大会だけでも17回も優勝して世界を平定した'囲碁の神'イ・チャンホに国内用だなんて何を言っているのかと反問するならば、残念だがあなたは'熱血囲碁ファン'を自ら名乗るには内面が不足する。

 22028DSC7787
▲パク・ジョンファン(勝)-コ・ジェ。局後短く所感を交換したコ・ジェ(右側)は目礼をしながら礼を尽くした後石を片付けた。 


1975年生まれであるイ・チャンホは1988年第8期KBS囲碁王戦で優勝して世界最年少タイトル獲得記録を立てる。 師匠チョ・フンヒョンが1988~1989年に行われた初代囲碁オリンピック第1回応氏杯で優勝をして故郷に錦を飾った直後であった1990年、イ・チャンホは国手戦、最高位戦で優勝して'恩返し'をする。

本格的な'師弟戦争'が始まった1991年、イ・チャンホは名人戦、最高位戦、大王戦、王位戦、帝王戦、バッカス杯で優勝して韓国第一人者として背伸びする。 そして1992年、東洋証券杯で'二枚腰'林海峰をはね除けて優勝して最年少世界チャンピオンになった。 引き続き1993年にも同じ大会で趙治勲を破って2連覇に成功する。

ここまでは'囲碁の神'らしく、けちをつけるところがない成績表。 だが、その次を見よう。 イ・チャンホは1993年国内で国手戦、名人戦、大王戦、棋王戦、覇王戦、国棋戦、棋聖戦、倍達王戦、帝王戦、BCカード杯、バッカス杯、SBS杯などいちいち数え上げることにも息が切れる程多くの棋戦を一人占めした。

また、その年に90勝をおさめて通算最多勝記録を塗り替える。 一年に90対局を打つプロ棋士も指折り数えるほどなのだが、'90勝'をおさめたので当時イ・チャンホがどれくらい絶対的な権力を振り回していたのか察しても余りある。

そして待望の1994年。 イ・チャンホは国内16個の棋戦サイクルヒットを達成して、'13冠王'という驚異的な記録で通算最多タイトル保持者に上がる。 13回を分けて優勝する事も難しいが、同時に13冠王とは。 十分に人間の能力を飛び越えた成績だ。

1995年にも別に違うべきことはない。 国内11個の棋戦で優勝して独歩的な第一人者の位置を守ったため。 ところがなぜ世界大会の話はないのかと? イ・チャンホは1993年東洋証券杯優勝以後何と3年に近い期間の間、世界舞台で沈黙したためだ。

イ・チャンホのメジャー世界大会三回目の優勝は1996年になってなされた。 すでに1991年から第一人者の隊列に上って、1993年からは自他共認名実共に韓国最強者であったイ・チャンホが世界大会をさらうまでは3年を越える時間がかかったのだ。

国内舞台で'13冠王'だったイ・チャンホが世界大会ではいつも苦杯をなめて、一部では'冒険が好きではなくて安定を追求するイ・チャンホが飛行機に乗って海外に出て行かなければならない試合では頑張ることができない'というあきれることこの上ない'飛行機ジンクス'が出たりもした。

一部非常識な人々は'師匠チョ・フンヒョンに勝つ方法だけ研究して見たらチョ・フンヒョンにだけ強いことではないのか'という戯言もはばからなかった。

 224915DSC7667
▲ 乾坤一擲の勝負であった第8回応氏杯8強戦韓中1位間の正面対決。パク・ジョンファン(右側)がコ・ジェを制圧した。 


パク・ジョンファンはどうなのか。 1993年生まれである現韓国第一人者パク・ジョンファンは2006年に入段した後2007年マスターズ チャンピオンシップで生涯初優勝トロフィーを占めてタイトルホルダーとなる。

2009年には第4期十段戦と第14期天元戦で優勝して2冠王に上がる。 イ・セドルが確固たる第一人者の地位を享受していたこの時期にパク・ジョンファンは2009囲碁大賞新鋭棋士賞を受賞して存在を知らせる。

この時はすでにイ・チャンホ時代とは違い国手戦を除いた国内のすべての棋戦が選手権戦に変わった時点であって、大会数も比較できないほど減って'13冠王'は不可能だった。 

2010年にパク・ジョンファンは韓中統合天元戦でチェン・ヤオイェを2-1で制圧して優勝し、囲碁歴史上最も大きい勝負の中の一つであった2010広州アジア大会で男子団体戦、混成ペア部門金メダルを首にかける。 この功労の認定を受けて9段に昇段したパク・ジョンファンは17才11ヶ月の年齢で'入神'になってこの部門での最年少記録を立てる。

そして2011年、第24回富士通杯で優勝してパク・ジョンファンはいよいよ世界タイトルホルダーとなる。 国内で最高級選手のうちの1人であることは確実だったが、相変らず第一人者はイ・セドルだった時点だ。

2012年にはGSカルテックス杯、KBS囲碁王戦マキシム杯で優勝して国内3冠王に上がって、2013年には韓国第一人者の'使命'のうちの一つの農心杯主将出場-優勝公式を繋いで受ける。 当時中国二人、韓国はパク・ジョンファン一人で残った状況で難しい相手シェ・ホとチャン・ウェイジェを連破して編み出した優勝だった。

2014年にパク・ジョンファンはいよいよ韓国1位にのぼる。 そして今まで28ヶ月連続韓国第一人者席を守っている。 この期間の間パク・ジョンファンは2015年LG杯優勝して世界大会通算二回目の優勝をした。

パク・ジョンファンはイ・チャンホとは違い韓国第一人者になる前から世界大会で頭角を現わしていて、国内最強者になった2014年以後には非公式的に'優勝トロフィーの個数でなく点数で問い詰める場合、パク・ジョンファンが世界ランキング1位'という分析も数回も出てきた。

 
たとえ世界大会優勝はまだ二回だけだが、パク・ジョンファンはほとんどすべての世界大会で8強あるいは4強にはいつも上がった。 万人の尊敬を一身に受けるイ・チャンホの'黒歴史'を度々掘り起こして申し訳ない気がするが、'13冠王'だったイ・チャンホが世界大会にだけ出て行けば本戦1回戦、2回戦で'グァンタル'(光の速さで脱落)したことが何と3年だ。

大きい失敗を味わった人だけが大きく成功する事ができる。

あえてイ・チャンホが'国内用'という批判を受けた20余年前の話まで取り出してまでしたい話は、現在の韓国第一人者であるパク・ジョンファンには叱責よりは暖かい激励と真心に充ちた応援の一言がさらに必要だということだ。 

もしかしたら知るかもしれない。 韓国ファンたちの応援を受けて頑張ったパク・ジョンファンがイ・チャンホ、イ・セドルの後に続いて世界舞台を平定する事になるのか。 もしかしたら10年後には今のコ・ジェは記憶にも残らないほどパク・ジョンファンが'世界第一人者'として独歩的な位置を占めているかも知れない。

イ・チャンホが本格的に世界舞台を平定する直前だった1995年、東洋証券杯と富士通杯を両手に握ったマア・シャオチュンが'世界第一人者'だったとの事実を今誰も思い出せられずにいるように。
 
原文記事:タイゼム - 大韓民国1位囲碁サイトTYGEM.COM 



月刊碁ワールド 2016年 05 月号 [雑誌]

日本棋院 2016-04-20
売り上げランキング :
by ヨメレバ
NHKテキスト 囲碁講座 2016年 05 月号 [雑誌]

NHK出版 2016-04-16
売り上げランキング :
by ヨメレバ