サイバーオロ

AlphaGoとの対局、創造力ではなく計算書で勝敗分かれた

イ・セドル・AlphaGo世紀の対決決算

14014
 ▲去る15日、ソウル駅待合室のTVを通じて生中継されたイ・セドル9段とAlphaGoの最後の対局。 読みに悩んでいるイ・セドル9段の姿を市民が見守っている。 [AP=ニューシス]


この記事は3月19日付中央日報の週末対局新聞[中央SUNDAY]に掲載された'ムン・ヨンジグ コラム'最新寄稿です。

イ・セドル-AlphaGo五番勝負に対する記事が津波のようにあふれた状況で前プロ棋士として、また、政治社会人文分野を勉強する学者(博士)として1テンポ遅らせて距離をおいて、冷静な目で'AlphaGo現象'を囲碁的観点で眺めた文で目を引きます。○● [中央SUNDAY]原文




世の中がひとしきり目がくらむようだった。 照明で眩しかった対局場は皆が離れて荒涼である。 眩暈がするような眠りから覚めた気持ちだ。 イ・セドル9段が人工知能AlphaGoに負けた。 1対4。それは初戦だけ見ても分かることができた。 中盤までは拮抗したが計算が完全な領域では力不足だった。

文化的波紋が大きい勝負と誇張された話と劇的な表現があふれた。 ‘パラダイム革命’ ‘人間とは異なって打つAlphaGo’…。 これらはそうだ、何といおうか。 状況は理解されるが表現があまりにも荒かった。 多くの人々の精神と自尊心が圧倒されたが、相当部分は何の準備もなしで対決を眺めたところだ。

この記事は囲碁にだけ限定する。 盤上の誤解だけ確認しても世間の飛躍と衝撃をたくさん減らすことができるところだ。 生半可な文明論・危機論を自制するためにも冷静さが必要だ。

今回私たちの社会はあまりにも浮き立っていた。 AlphaGoの勝利が計算能力に力づけられたという一部の科学者の主張があふれるニュースの中に埋められてしまったことは良い例だ。

惜しくもプロからの認識に問題が多かった。 現実ではなくあらかじめ想像していたAlphaGoを前提にして盤上を理解して解説した。 イ・セドルと柯潔の世界大会決勝局とは違って非論理的に対局を解釈した。 メディアはイシュー作りに忙しくて単純化と飛躍に進んだ。


“パラダイム革命”はむやみに使った用語
 
‘直感’とは何か。 言葉どおり感情や考えなどの媒介なしで与えられ、明らかになったということだ。 考えというのは私たちの思いのままにするのではない。 先入観や感情が先にくれば考えはそれについて行く。 直感は文化と関係なく人間にある。 囲碁ではどんなものか。 盤上が与えられる。 すると一番最初にふと浮び上がった見識、それが直感に属する。

[521463]js-1
▲ <シーン1 /> 黒1は直感的な着手なのだがプロはあまり打たない。


人工知能であるAlphaGoに直感があるだろうか。 分からないことだ。 コンピュータ ウイルスを生物でみるべきだという見解はすでに20年前に出てきた。 まだベールに包まれている意識の発現過程を差し置くならばAlphaGoは直感的な手法になじんだ。

曖昧で答がない状況で膝を打つほどの良い手を瞬間的に打つならば、それは直感が作用したと見てもかまわない。
 
2局の序盤である <シーン1 />を見よう。 黒1(実戦黒37)が驚くべきだ。 本当に人が打ったような感覚的な思いつきだ。 だが、人工知能は直感がないという‘一方的な’前提があったためだろうか。 問題が飛躍した。

多くの解説がこうだった。 “人間の理論ならばありえない手だ。” “このような手でAlphaGoが勝つならば革命だ。 人間囲碁を跳び越えたと見る。”

とんでもない話だ。

すでに20~30年前に棋聖呉清源が強調した手法だ。 呉清源が『21世紀布石』で提示した <シーン2 /> 白1は良い例だ。 黒地を先に強くするのでプロがあまり打たないだけだ。 芮廼偉9段は好んで使うが。

[521463]js-2
▲ <シーン2 /> 呉清源が好んで使った白1は応酬打診。

 

したがって <シーン1 /> 黒1に対しては“よく使わない手法”と評せば足りた。 黒1は決断ともするのだがもし白Aがきた後に黒1を打てばその時は攻撃されるためだ。 感情がないAlphaGoは迷わずに盤上を決めて行く所にたけていた。

‘人間囲碁’ ‘人間の理論’それに加えて‘パラダイム’も誤用された用語だ。 あちこちで使われた。 “AlphaGoの盤上パラダイム革命。”AlphaGo神話を囲碁界が自発的に献納するところだ。 観念の革命は長い時間が過ぎた後にはじめて識別する事ができる。

登場する瞬間に分かるほどならばそれは平凡なことに過ぎない。 革新的な観念どころかAlphaGoが新しい手法を持ち出したこともなかった。 鋭利だったのは事実だ。 イ・セドルが話した。 “完敗だ。”
理解できるのだがそのように話したのだ。

言葉は実在しない現実も織造下は属性を持っている。 囲碁界がそのような表現を使うのでメディアはAlphaGoを別格の存在と感じた。 人間が知らない世界をあたかもAlphaGoが見つけたようだった。

AlphaGoを月面着陸に例えたハサビスの感激は人工知能分野の業績だ。 盤上でAlphaGoは単に強かっただけだ。 行き過ぎた飛躍は私たちの投影からくるようだ。 韓国社会は無意識的な警戒に振り回され、精神的衝撃まで受けようだったが、それはオリエンタリズム(orientalism)の反響で来る喪失感のためだった。

東洋で囲碁の象徴性は大きかった。 西洋と区別される境界に先文化的望楼であった。 私たちの意識の底辺に残っていたのは19世紀から西洋に押された東洋の自尊心。 それがまもなく集団エゴ(ego)の内容の中の一つであり囲碁はその被害意識を補償する象徴的存在であった。

故に囲碁は譲歩できない‘私たちの一部’、すなわち砦であった。 エゴの境界の持続は全てのものに優先する。

AlphaGoは西洋の違う姿。 その延長線で‘人間vs機械’に焦点が捕えられて思考が片方だけで駆け上がった。 そのような現象を1つ見てみよう。

プロはもちろん科学者もAlphaGoの弱点を探そうとした。 “AlphaGoは意外な手を打てば慌てるだろう。”だが、AlphaGoには‘意外な手’もなくて‘当惑’もない。 感情がなくて‘意外’がないためだ。

だから“意外な手に驚いたAlphaGoが悪手を出した”という4局はAlphaGoのバグだっただけだ。1~3局を見守ったニェ・ウェイピン(聶衛平) 9段が話した。“AlphaGoが打った手は全て完ぺきだ。”

戦略云云も誤解だ。 “イ・セドルがどんな戦略をたてて対局に臨もうか?”焦点が間違いだ。 囲碁は相手の弱点に食い込むゲームではない。

盤上にはお互いの構想がみなあらわれるためだ。 呉清源も話した。 “手を推論して望ましい展開方向を救うことが戦略の全て。”色々な変化を比較して最善を選択する、それが全て。 故に囲碁は明確なゲームであり、それ故に囲碁は3000年の間愛された。 悪知恵が作用しないゲームである。

[521463]A02
▲東洋で囲碁の象徴性は大きかった。 西洋と区別される境界に先文化的望楼であった。 故に囲碁は譲歩できない‘私たちの一部’、すなわち砦であった。



100手に達すれば推論・計算が全て
 
囲碁の部分的な答はすでに1995年に発見された。 数学者E. Berlekampとキム・ヨンファン博士が発展させたヨセ解決法がそれだ。 それの意味はこうだ。 手順の差がそれぞれ違う結果を持ってくるのだがその差が微妙なほど人間は感知できない。

そのような差は数学を使ってこそ捜し出すことができる。 そうだ。 中盤以後AlphaGoが見せた卓越はそれに力づけられた。 人工知能はその微妙さを数値化する事ができる。

囲碁で重要なのは特に序盤。 対局者の個性があらわれる世界だ。 イ・チャンホは石仏。 坂田栄男はかみそり。

終盤までそのような個性が生きているのか。 そうではない。 たいてい50~60手過ぎたら個性は明確に痕跡をなくす。 以後には石がからまるのだが100手に達すれば誰が打っても推論と計算が全て。

AlphaGoは100手を越えてはじめて優勢を占い始めた。 3局直後ハサビスが話した。 “AlphaGoは打ちながら勝敗推定もする。”いわゆる形勢判断だ。 “中盤までは対等な勝負だと見た。 後半に勝利を確信した。”そうだった。 互いに打つだけのことはあった。

だからAlphaGoは、一部の科学者が正しく反論を提起したように創造力ではなく計算にたけていただけだった。 もちろんAlphaGoは優れた知能を披露した。 だが、それを拡大解釈する必要はない。 AlphaGoは現在の囲碁水準中にあって、計算で先んじただけだ。


中盤までは互いにしてみるだけのことはあった勝負 
 
創造力は難しい問題だ。 事実創意性がどこからくるかは科学者は答を出せずにいる。 AlphaGoは19世紀日本の棋聖秀策のように冷静で失敗がなかった。 読みも深かったが明確な創意性は見せることができなかった。 秀策もそうだった。

ハサビスは“イ・セドルを選んだのは創意性のため”といった。 準備を綿密にしたグーグルが世界をひとしきりイベントに追い込んだ気持ちがなくはない。

グーグルが韓国を選んだ理由は簡単だ。 日本棋院は保守的な組織で中国はグーグルが行き詰まった国であった。 事実自習するAlphaGoにはイ・セドルが不要だ。 創意性も決心すると出てくるのではない。 今回イ・セドルの変則的な手法はいつもAlphaGoに詰まった。 変則は正常な手法を越えることができない。

そうだ、勝負は終わった。 冷静になると。 もう勝負では人間が人工知能と雌雄を決するのが不可能だ。 AlphaGoの今のバージョンだけでもどのプロよりも強いから今後は言うまでもない。

惜しくも十番勝負とともにぴりっとした勝負対局があたえる味はもう得る事が難しくなった。 韓国はもちろん中国と日本囲碁界にもAlphaGoの登場は大きい衝撃だ。

熱い関心に力づけられて囲碁が発展する事ができるだろうか。 それは分からないが囲碁はもう遊び性と教育的効果を広げる方向に進むほかはないところだ。 囲碁界もこのような機会なのに講演会を一度も開かないのは残念だ。

対局場に来た外国記者だけでも100人を越えて、世界の人が見るYouTube実況中継もあったのだ。 囲碁普及は‘囲碁の価値を高める作業’として定義される。 海外に棋士を何人か派遣して教えるのはささいだ。 ハサビスは訪韓後講演活動までした。

今年の革命的な世界はいつかは到来しただろう。AlphaGoはすでに来ていたしイ・セドルではなくても誰かは敗北の負担を背負わなければならなかった。イ・セドルも、囲碁界も苦痛だ。だが、世の中の変化はどこの誰も防ぐことはできない。

広い見識とエゴに閉じ込められない態度、それが切実な時間がきた。囲碁でも、囲碁ではない世の中でも。

[ムン・ヨンジグ/前プロ棋士、政治学博士]
原文記事:サイバーオロ