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[チャレンジマッチ]イ・セドルの次の挑戦は'囲碁オリンピック'
 
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 ▲幼い時期のイ・セドル9段。

イ・セドル、来月応氏杯から世界大会出撃 
まだ優勝していない世界最高タイトル

"残念で、残念で、また残念です。"

物足りなさの中に幕が降りていった。 世界が注目した勝負は短い五回の対決だったが'機械'の挑戦がいつの間にか'人間'の挑戦に変わった。 

最善を尽くしたが結果は最善ではなかった。 1-4はスコア上では完敗だ。 相手があまり分からず、それで低く見た。 真剣勝負をしなければならないのに、見慣れない舞台に適応して相手を把握する事に2~3対局が消費されたという感じも拭うことはできない。 イ・セドルもやはりそのような内心を表した。

 
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▲ 1991年第12回ヘテ杯全国子供囲碁大会優勝当時。 左側は4才上のハン・ジョンジン(現プロ9段)。


AlphaGoは人間が勝つことのできない相手ではないとイ・セドルは話した。 なので私たちも残念だ。 もう少し準備したならばどうだったのだろうか。 最新の棋譜も求めて仮想対局場も作って実戦のように練習もしてみて…。

全面的に'イ・セドル頭脳'に任せて頼った。 'AlphaGo位は'といいながら勝利を信じて疑わなかったから。 対局が進行されるほど良い内容を見せたのでそれでより残念だ。 1次敗因は碁盤の外にあった。 同僚棋士は競ってみることもできなくて機械より'下手扱い'を受ける体面だ。

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▲共に入段したチョ・ハンスンと共に(1995年)。
 

五対局を行う間グーグルの時価総額が58兆ウォンほど増えたという統計も出てきた。 ディープマインドが今回の大会に費やしたお金は200万ドル程度で知られている。 その中でも優勝賞金100万ドルは出て行かなかった(もちろん慈善団体に寄付されるが)。

イ・セドルが受けるのは対局料15万ドルと1勝手当て2万ドルが全てだ。 だが、韓国囲碁も損した商売ではなかった。 勝ったら申し分なかったが多くのものを手にした。

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▲ 1995年入段直後のイ・セドル。
 

世紀の対決はマスコミと国民の多大な関心を集めた。ドラマ '未生'、'応答せよ1988'に続いてきた薫風が'3打席連続ホームラン'で爆発した。 このような熱気を継続する事が囲碁界の役割だ。 その中心には韓国棋院がある。 

一週間シンドロームを起こした主人公イ・セドルは大会が終わった日、プロ棋士である兄、そして同僚らと共に夜遅くまで酒杯を傾けた。 最も多く準備した最終5局の敗北が以前に3連敗にあった時よりさらに痛かったという話も出てきた。

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▲プロ初優勝は2000年第5期バッカス杯天元戦。
 

AlphaGoから抜け出したイ・セドルは家族と共に済州島(チェジュド)旅行した後、次の舞台を準備する。

2008年夏に娘がカナダに留学に行った時から妻とも離れて過ごしてきた。 
4年余り寂しかった'キロギアッパ(一人暮らしの父)'生活は近づく夏に清算する。 7月に妻と娘が帰ってきて済州島(チェジュド)に定着する計画であるためだ。 数年前からアメリカ普及活動にも深い関心を表明してきたからいつ実行に移すのかも注目される。

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▲実兄と繰り広げた新鋭大会決勝戦(2000年)


一方イ・セドルが次の挑戦として焦点を合わせている大会は応氏杯世界囲碁選手権大会だ。 台湾の応昌期囲碁教育基金会と上海応昌期囲碁教育基金会が主催する応氏杯は4年ごとにオリンピックが開かれる年に開催されて'囲碁オリンピック'として呼ばれる。 

優勝賞金も40万ドル(約4億8000万ウォン)で世界大会個人戦のうちで最も大きい。 チョ・フンヒョンが1989年初代チャンプに上がって空港からソウルまでカーパレードを行った大会だ。 韓国囲碁はそれまで辺境国扱いを受けていたがチョ・フンヒョンの優勝でその悲しみを一発で飛ばした。 

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▲ 2005年第2期トヨタデンソー杯決勝。 中国の常昊に勝って優勝した。


来月18日上海で開幕する八回目の大会にイ・セドルはランキングシードを受けて出場する(応氏杯に先立ち3月下旬に春蘭杯が開幕されるがイ・セドルは出場しない。 国内選抜戦に参加しなかった)。 

応氏杯は個人的にも優勝熱望が強い大会だ。 チョ・フンヒョンに続きソ・ポンス、ユ・チャンヒョク、イ・チャンホ、チェ・チョルハンが受け継いできた韓国棋士の優勝系譜にイ・セドルの名前がすっぽり抜けている。 今までイ・セドルが合計18回持ち上げた世界大会優勝に入っていない未踏地だ。 

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▲家族と共に。
 
原文記事:ハンゲーム - 楽しいコンマ、Goハンゲーム!