「アゲイン1988囲碁!応答せよ1988囲碁!」 - 時事ジャーナル

この喚起させた韓国囲碁の地位…2016年の‘チェ・テク’は誰であろうか 

<応答せよ1988>に登場する天才囲碁棋士チェ・テク6段はイ・チャンホ9段そっくり。どもりがちな語り口と行動、時計店の主人の息子という点が同じだ。

▲<応答せよ1988>に登場する天才囲碁棋士チェ・テク6段はイ・チャンホ9段そっくり。どもりがちな語り口と行動、時計店の主人の息子という点が同じだ。(c)韓国棋院・tvN


 
イ・セドルとコ・ジェ(柯潔・中国)が第2回夢百合杯最終戦(決勝5局)を行った2016年1月5日、ポータルサイトネイバーとダウムではその日ずっと‘イ・セドル’が検索語1位に上がった。プロ棋士がポータルサイト検索語1位に上がったのは非常にまれなことだ。

1980年、趙治勲9段が日本名人を制覇した時、1989年チョ・フンヒョン9段が応氏杯で優勝して‘囲碁皇帝’として登板した時、イ・チャンホ9段が2005年第6回農心杯で奇跡のような5連勝神話を作った時に劣らない関心が傾いた。 あまりにも大きい勝負であったとしてもあくまでも囲碁界で見た時の話であって、格別興味がない若い世代までこのように関心を見せたところはどうしても今tvNで人気の下に放映中である<応答せよ1988>(以下<応答せよ>)のドラマの影響が大きいようだ。

<応答せよ>の劇中人物チェ・テク6段(パク・ボゴム役)はイ・チャンホ9段を実際のモデルにしたキャラクターなので囲碁ファンはもちろんのこと、囲碁をよく知らない若い層にまで話題になっている。イ・チャンホは全州に位置する‘李時計店’の息子だった。 このような設定からチェ・テク6段が囲碁で見える活躍像とどもりがちな語り口や行動までイ・チャンホ9段の行跡と姿をそのまま持ってきた。 だが、ファクト(fact)とフィクション(fiction)を適切に混ぜ合わせたファクション(faction)ドラマであるから事実と違った部分も多い。

まずイ・チャンホ9段は1975年生まれだ。 したがって1988年には13才の中学生に過ぎず(ドラマでは高校生),1986年11才でプロ入段をして3年後である1989年夏、第8期KBS囲碁王戦(放送早碁戦)で優勝して初めてのタイトルを取る驚くべき歩みを見せることはしても1988年には無冠だった。

<応答せよ>で見える活躍像は1990年以後の話だ。ところが1988年時点はタイトルだけまだ獲得していなかっただけで、すでにイ・チャンホはその年最高の活躍を見せた棋士にあたえる囲碁大賞MVPを受賞した。 75勝10敗の成績をおさめて勝率(88.2%),最多勝(75勝),最多対局(85局),連勝(25連勝) 4つの部門1位を記録し、3段に過ぎない今年生まれたヒヨコという事実が面目を失うように6つの棋戦本戦に上がって最高位戦と覇王戦2つの棋戦では挑戦権を取り出して今後の韓国囲碁界に差し迫る津波を予告した。

話が出たついでに1988年頃の国内囲碁界現況はどうだったか顧みよう。 世界囲碁史で以前と以後で区分するほどの画期的な年が1988年であるためだ。 プロ囲碁世界大会が誕生した元年が1988年だ。

その年4月、日本が毎年開催する富士通杯をリリースし、4ヶ月後、台湾の応昌期会長が優勝賞金40万ドルをかけた応氏杯をスタートさせた。以前までは囲碁強国である韓国・日本・中国が国境の防柵を高く立てたまま時々交流戦を行うだけだった。

これまで日本囲碁は世界囲碁のメジャーリーグとして振る舞って、実際にも囲碁の手法と文化まで先んじた先進国だった。 韓国と中国は日本に追いつくために熱心に模倣する段階であった。



<応答せよ>劇中人物チェ・テク6段のモデルであるイ・チャンホ

1970~80年代、韓国囲碁の第一人者はチョ・フンヒョン9段だった。 ただ最もよく置く第一人者でなくすべてのタイトルを同時に握る全冠王を1980年(9冠王),1982年(10冠王),1986年(11冠王)三回達成した程、独歩的な第一人者であった。 そうとは言っても当時日本は韓国囲碁を中国より遅れている辺境国として取り扱っていて、チョ・フンヒョンはガキ大将というだけのことだった。

代わりに韓国民に大きい慰安を与えた存在は1980年代日本3大タイトルである名人・本因坊・棋聖戦を順に握りしめて列島を号令した趙治勲9段だった。

今まで我が国に囲碁ブームが大きく見て3度あるが、その最初の風がまさに趙治勲が名人に上がった1980年だ。 二回目が1989年チョ・フンヒョンが応氏杯で優勝した時で、三回目が1990年代イ・チャンホの登場にともなう関心増幅だった。今トップで猛活躍しているイ・セドル世代以後の棋士は全て‘イ・チャンホ キッズ’らだ。

1988年韓国棋院所属プロ棋士の数は95人(女2人)であって、この中で9段は5人に過ぎなかった。 2015年にはプロ棋士の数は310人(男255人、女55人)であり、9段だけでも71人に達する。 過去と比べれば隔世の感だ。 1988年当時の棋戦数は13個であり(チョ・フンヒョン8冠、ソ・ポンス3冠、ユ・チャンヒョクが1冠であり、イ・チャンホはこれまで無冠),13個の棋戦の優勝賞金をみな合わせても1億3000万ウォンに過ぎなかった。

王位戦が優勝賞金が最も多い1600万ウォンだった。 1988年の記録が残っていなくて分からないが、一年前(1987年)ランキング1位であるチョ・フンヒョン9段が稼いだ年間賞金総額が9950万ウォンであったから彼の独走がどのようだったのか実感するに値する。

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▲1988年囲碁vs2015々囲碁

プロ棋士数 1988(男93名 女2名) 2015(男255名 女55名)
棋戦数 1988(13個) 2015(25個)
総優勝賞金 1988(1億3000万ウォン) 2015(20億ウォン)




最近の囲碁の地位と人気、以前にはおよばなくて

27年が過ぎた2015年、韓国が開催している棋戦数は世界大会5個(団体戦まで)を含んで25個であり、棋戦の総予算規模は80億ウォンに達する。 優勝賞金総額は20億ウォン. 外形だけおいてみれば途方もない拡張を見せた。

ところが棋戦の優勝賞金や全体予算規模が大きくなったことは世界大会が増えた結果であって制限棋戦やイベント棋戦を抜けば国内棋士が皆参加する国内棋戦の数は6個にかえって減った。 スポンサーが広報効果にこだわってできた現象だ。 囲碁界にも‘貧益貧 富益富’ ‘豊かさの中の貧困’現象が目立っていていることだ。

ランキング1位が一年稼いだ賞金総額金額だけおいてみても囲碁の地位と人気が以前にはおよばないことを知ることが出来る。 1987年チョ・フンヒョン9段が取得した賞金総額が1億ウォンに肉迫したが(翌年には1億ウォンを突破したと考えられる) 27年が過ぎた2015年ランキング1位パク・ジョンファン9段の総賞金収入が8億1300万ウォン、2位キム・ジソク9段は5億ウォンを少し超えた。

ちょっと見ただけではたくさん増えたようだが1984年プロ野球最高投手であるチェ・ドンウォン選手が受けた年俸が4700万ウォン(これもボーナスを合わせた特級待遇)であり、当時旋風的な人気を呼んだ土俵のイ・マンギ選手が4600万ウォンを受けたものを推し量れば1980年代囲碁界最高級棋士の収入はスポーツスターより上だった。 だが、今ではプロスポーツ選手の年俸とプロ棋士の賞金収入を比較する自体がナンセンスになってしまった。

1988年は我が国がソウルオリンピックを開催した年だ。‘応答せよ’ドラマがあえて1988年を指定したのも何か歴史の分岐点になるほどの年だと考えたためだろう。同じ観点で1988年は囲碁界でも新しい気勢が画期的な年であった。

その年の秋、当時22才であったユ・チャンヒョク3段が新鋭棋士では初めて大王戦でチョ・フンヒョンを3-1で押し倒す波乱を起こし、13才のイ・チャンホが最高位戦と覇王戦で師匠チョ・フンヒョンに挑戦するとんでもない(?) 事件を起こした。

世界囲碁史に類例を見ない師弟による挑戦碁初戦が1988年クリスマスイブの日釜山(プサン)、広安里(クァンアルリ)シーサイドホテルで繰り広げられる珍しい風景を演出した。15年鉄甕城(チョロンサン)を構築したチョ・フンヒョン王国が揺れる兆しが起こり、その年囲碁界を総決算する囲碁年鑑は‘新鋭が起こした反乱の年’として記録した。

世界囲碁大会が初めて顔見せした1988年はこれまで中国囲碁よりも低い接待をされてきた韓国囲碁が一気に世界トップで立ち上がる踏み台を捉えた‘機会の年’でもあった。 4月、世界で初めて開かれた富士通杯でチョ・フンヒョンは1回戦脱落の苦味を見たが、8月から始まった応氏杯では韓国囲碁の自尊心と命運をかけて闘魂の勝負を展開して決勝に進出した。

そして翌年5月、1-2で後れた崖っぷち状況で特有の降神舞を広げて中国が優勝を信じて疑わなかった‘鉄の守門将’ニェ・ウェイピン(衛平) 9段を相手に3-2で逆転優勝をした。一人ぼっちで悪戦苦闘の中に一群奇跡のようなドラマであった。

 

イ・セドル以後韓国囲碁、中国に押されて

1989年チョ・フンヒョン9段の応氏杯優勝を信号弾として、韓国囲碁はあたかも永らく水を得た魚のように世界舞台をさらい始めた。 チョ・フンヒョンを先鋒としてソ・ポンス、ユ・チャンヒョク、イ・チャンホにつながる太極ラインナップが1993~94年1回眞露杯を始まりに応氏杯、東洋証券杯、富士通杯など8連続世界大会優勝をおさめて2年連続世界囲碁を天下統一した。

韓国囲碁の勢いは2000年に入ってからも全く衰えなかった。 2000年8月チョ・フンヒョン9段が富士通杯を再び席巻した時から2003年7月イ・セドル9段が富士通杯で優勝するまで3年間世界大会20連続優勝の偉業を達成した。

韓国囲碁史を大きく区分するならばチョ・フンヒョン9段の応氏杯優勝以前と以後で分けられるのだがまさにその分岐点が1988年だ。ところがイ・セドル以後韓国囲碁は近ごろ中国囲碁に押されていて残念だ。韓国囲碁も最近はこれまで以上に‘アゲイン1988!応答せよ1988!’を叫ぶところだ。
 
原文記事:「アゲイン1988囲碁!応答せよ1988囲碁!」 - 時事ジャーナル 



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