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[国内ニュース] [話題]びっくり囲碁会合論議趙治勲-シン・ギョクホ‘50年縁’ストーリー

シン・ギョクホ ロッテグループ総括会長の最近の歩みが目を引く中で日本で活動中である趙治勲9段との50年の間続いてきた縁が明らかになって話題だ。
 
趙治勲9段は去る12月4日ソウル、小公洞(ソゴンドン)ロッテホテル34階に位置しているシン・ギョクホ総括会長の執務室を訪問した。アマ4段で知らされたシン総括会長は趙治勲9段と談笑を交わして五子局で置き碁もした。この席でシン総括会長は“最近の囲碁ランキング1位は誰か”と尋ね、これに対して趙治勲9段は“最近はイ・セドル9段が本当によく置く。 私はしばらく順位が下だ”と笑って答えたと分かっている。
 
この席でシン総括会長は腰が痛くて碁石を遠くに置く時は他の人に石を動かしてほしいと指示したりもしたとシン総括会長の側近は伝えた。
 
 
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▲趙治勲9段が12月4日ソウル、小公洞(ソゴンドン)ロッテホテル シン・ギョクホ総括会長執務室を訪問した。趙治勲9段とシン総括会長が碁盤を間に置いて談笑を交わす姿.写真=SDJコーポレーション
 
 
# 50年縁の開始
 
有望株として嘱望された趙治勲が兄チョ・サンヨンの手にとられて日本に囲碁留学に出たのは6才の幼い年齢だった1962年のことだ。その頃二十才くらいだったチョ・サンヨンは囲碁勉強を継続してはいたが自身は大成する事にとても遅れたことを悟って弟の趙治勲を日本に呼び入れたのだ。
 
だが、暮らすことと授業料が悩みだった。日本に渡ってくる時受けた後援支援金があったがすぐにすっかりなくなり食事を心配しなければならないほど窮乏した状況に追い込まれてしまう。
 
その時チョ・サンヨンが思い出した人が同胞の集いで紹介されたシン・ギョクホ総括会長だった。困っていたチョ・サンヨンはシン総括会長を訪ねて行った。後には韓国と日本を合わせる財閥になったが当時シン総括会長は小さいガム工場を運営している時であった。シン総括会長はただ一度見ただけで囲碁兄弟を記憶していた。 そしてその場で快く支援を約束しその後毎月2万円ずつ秘書室から受け取ることを指示した。
 
幼い趙治勲に“私は金を稼いで日本に勝つから君は囲碁で日本に勝て”と話したのも最近になって伝えらている。
 
これだけではない。後日チョ・サンヨンが月刊誌<囲碁世界>を作って弟の活躍を国内に知らせたいとするとソウル、小公洞(ソゴンドン)ロッテホテル13階に出版社のオフィスを開いた。
 
このような50年を受け継いできた温かい話が最近一部メディアの疑わしいまなざしを受けるのはロッテグループの経営権を囲んだ兄弟間の争いのためだ。
 
ロッテグループ創業者であるシン・ギョクホ総括会長はロッテグループ経営権紛争の勝敗を決める最大変数だ。ロッテグループ経営権紛争でシン会長の長男であるシン・ドンジュ前日本ロッテホールディングス副会長は“創業者であり父であるシン・ギョクホ総括会長が弟であるシン・ドンビンより私を支持する”と主張している。これに対抗してシン・ドンビン ロッテグループ会長側はシン総括会長の‘健康不安説’をずっと提起している。
 
すなわち自身の後継者として長男シン・ドンジュ前副会長に手をあげたシン総括会長の健康異常説を一蹴するためにシン・ドンジュ前副会長側で広報性イベントを継続しているということだ。だから一部メディアでは‘シン・ドンジュ前副会長が父シン・ギョクホ総括会長の健康不安説を払拭させるために趙治勲9段との出会いを推進した’として解釈することもあった。
 
 
#訪問はどのようになされたか
 
だが、趙治勲9段と共にシン・ギョクホ総括会長を訪問したチョ・サンヨン6段の話は違う。
 
チョ・サンヨン6段は“普段メディア露出がなかったシン・ギョクホ会長様がロッテ経営権問題のためなのか最近国内TVにしばしば映らなかったか。それを日本で治勲が見たようだ。この前電話がきて‘シン・ギョクホ会長様が九十才を越えられたというからさらに遅くなる前に一度お会いしなければならないのではないか’として連絡先をあちこち噂を頼りに捜した。 だが、連絡がつかなかった。そのようだったのだがある日突然ロッテ側から訪問しても良いという連絡がきた。ちょうど治勲も対局がない週だったので日が合った。
 
シン会長様はアマ4段程度の棋力だ。以前には五子の手合割で指導碁も何度も置いた。だが、棋力が以前のようではないのでその日は碁を打つよりは色々な話をたくさん交わした。突然の訪問だったので心の余裕がなくてプレゼントを準備できなかったのでちょうど家に治勲が直接使った囲碁本があって3冊プレゼントした。 一部メディアの推測のようにロッテグループの方から呼ばれて行ったのではない”と明らかにした。
 
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▲日本に発つ幼い時期の趙治勲.右側写真は1962年日本に囲碁留学に出た6才趙治勲が叔父チョ・ナムチョルの手にとられて日本の領土を初めて踏んだ時の姿.師匠木谷9段が直接空港に出てきて趙治勳一行を喜んでいる(左側から趙治勲、叔父チョ・ナムチョル、兄チョ・サンヨン).写真提供=韓国棋院
 
 
また、チョ・サンヨン6段は“メディアの報道も事実と違った点がある。当時私たちがシン・ギョクホ会長様から毎月1万円を支援されたといったがそれは誤りだ。2万円ずつ受けた。おそらく初めて書き取った記者が1万円と誤って書いたのがずっと受け継がれてくるようなので修正したら良いだろう。当時の2万円はかなり多額の金だった。 100ウォン、200ウォン差でなく1000万ウォン、2000万ウォンの差だ。
 
そのようなお金を毎月支援されたのに受けた側で削って話したもようになってしまったので大変な失礼をした形になった。必ず正してほしい”と頼むこともあった。
 
シン総括会長は趙治勲9段を後援した以後、日本囲碁にも大きい関心を持ったと伝えられている。特に趙治勲9段が棋聖戦や名人戦、本因坊戦など挑戦手合を行う時はしばしば対局場を訪れたという。

農心辛ラーメン杯日本側団長で釜山(プサン)を訪問した山城宏9段は“以前趙治勲9段と挑戦手合を行う時シン・ギョクホ会長が予告なく対局場を訪問したことがあった。大企業の会長ながらも膝をついて歩いて碁盤の前に近づいて側で長時間囲碁を見守って静かに席をはずしたことが思い起こされる”とするほど彼の趙治勲と囲碁史は格別だった。
 
そのようなシン総括会長だったので最近一部メディアの“シン・ドンジュ前副会長側が父シン総括会長の健康不安説を払拭させるためにありったけの力をふりしぼっている。シン総括会長が日本囲碁界の巨星趙治勲9段と碁を打つ写真を公開した”という疑心に充ちた報道は囲碁ファンたちの眉をひそめさせる。当事者が他の誰でもない‘命をかけて置く’という趙治勲ではないか。
 
一方趙治勲9段は7月に韓国現代囲碁70周年記念チョ・フンヒョン9段との正面対決を広げた事に続き1月には‘伝説の帰還’(仮称)というイベントで再び国内囲碁ファンたちを訪れる予定だ。
 
‘伝説の帰還’は韓国が排出した不世出の棋士チョ・フンヒョン9段、ソ・ポンス9段、趙治勲9段、ユ・チャンヒョク9段が参加、フルリーグを行う大会.それこそ韓国囲碁レジェンドの王の中の王を決める大会になるものと見られる。
 
記事出処-日曜新聞
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