変える時になったプロの段位体系 

段位体制と昇段大会改革に対する提言
 
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[キム・グラの舌戦説戦-第15回] 
'盤上のグラ'キム・ソンリョン9段.強大な口が立つことを自慢して得たニックネームだが派手なアドリブでも、取るに足らない雑談でも付け加える水準ではない。ステレオタイプの解説とは距離が遠い、率直溌剌直線的な語法でファンたちを楽しませる。毎週サイバーオロが蓆を敷く。週間観戦評'キム・グラの舌戦説戦'. 
 


プロにとって‘段’は果たしてどれくらい重要なものか。 昔日本では段位により‘銭’を受ける金額が違った程生活の基盤になりその人の地位を現わす象徴的な部分が強かった。

近代化され日本棋院が設立された以後勝負を競うことができる囲碁競技は昇段大会が唯一だった。 当時には昇段大会が段により対戦料を受けて見たら段位の権威を高めようと規定をとても難しくさせた。

初段と9段が実際の昇段対局を置くことはないが手合割で3子の違いが生じるほど実力格差が大きかった。 昇段期間も長くて一生昇段大会と取り組んでこそ入神(九段)に上がることができるほどであった。

我が国の昇段大会も日本留学に行ってきたチョ・ナムチョル先生が日本の制度をそのまま取り入れて使った。 そうするうちに初期には日本と同じように昇段が容易ではなかった。 チョ・ナムチョル先生は後で自身が作ったその罠に陥ることになる。

全盛期時は昇段大会が手合割制といってもあまりにも実力が優秀だと見ると、先でも勝って2子でも勝って8段まではそのように遅滞しないで上がった。 問題は全盛期を越えた70年代中盤. 当時タイトル保有者の段位が5~6段程度でみると彼らと合わせる事も骨を折ったが、先あるいは2子を置かなければならない状況等、とうてい九段になることが出来なかった。 そうした点で見るなら8段までは他の追従を許さなかったキム・イン国手も同じだった。 

入神1号はチョ・ナムチョル先生ではなく82年チョ・フンヒョン国手がテープを切った。 インタビューで80年の全冠王に昇った時ぐらいうれしいといったほどだ。 実力で上がった最初の9段が登場するとすぐに韓国棋院は自然にチョ・ナムチョル国手を2番目の入神に差し上げた。

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▲韓国囲碁1号9段チョ・フンヒョンの入神祝宴.1982年5月21日.

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▲韓国囲碁界に昇段大会を経て入神1号(チョ・フンヒョン9段)が誕生するとすぐに囲碁界は1983年チョ・ナムチョル先生を9段に優遇した。 チョ・ナムチョル入神祝宴に集まった後輩棋士らと共に。

 

80年代までしても9段になれば入神祝宴をホテルで開いた。 当時には9段がそれだけ珍しかったし一生の光栄だと考えた。 そのためか何人目の入神という修飾語が常に追いすがった時期だ。 

筆者が入段した91年にも段位が漂う権威は相当した。 棋士総会が終わって団体で食事をしに行けば序列で席を満たした。 元老先輩なのにただ序列が低いという理由で今しがた入段した孫程の棋士と食事をしなければならない状況も広がった。

対局する時もやはり序列のとおり座って見たらニギリの時にきまり悪い状況が頻繁に演出された。 (両親程度以上の年齢差にもかかわらず、やむを得ず白石を掴んで握らなければならない時のその寒さというのは体験してみないと分からない。)

2000年代へ渡って初段が9段に勝つことが一度や二度ではなくなるとすぐに昇段大会は無条件互先に制度を変えた。 また、イ・セドル9段が対局料がない昇段大会に参加しなくて世界大会で連日優勝をするともう一度規定を改正した。 世界大会で優勝すれば一発で三階段(3段)を昇段させる制度を作った。 低段者が世界タイトル保有者で活動するぎこちない状況を防ごうとする手段だった。 

この規定が通過するとすぐに9段インフレ現象が加速化した。 低段だがすでに実力が優れていたいわゆる‘小牛3銃士世代’らは他の人々が15年がかかる期間を3.6.9に上がった。 91年に入段して2004年9段になった筆者は13年7ヶ月かかったが、99年にプロになったパク・ヨンフンは2004年富士通杯を優勝して4年7ヶ月で9段になった。 超スピード9段時代が開かれたのだ。

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▲イ・セドルは入段初期昇段大会に参加して3段になった時点から参加しなかった。 ところが低段で第7回LG杯決勝でイ・チャンホ9段を負けさせ優勝するとすぐに韓国棋院は昇段規定を改正して2003年3月6段に上げた。

 

それなら今の9段の価値はどうなのか
初めての9段が登場して33年が過ぎた今9段が何と68人だ. 10年前だけでも30人にならなかった人員が急激に増えたのだ。 300人を少し越える棋士のうち9段が最も多い。 
 
私たちの制度とは違うが、中国も世界大会で優勝をすればすぐに9段をあたえる制度ができた。 対局料を与えない昇段大会に参加しない棋士が多い。 今年の中国昇段大会には5段以下だけが参加した。 まだ成績を出すことができないプロが対局感覚を育てようと参加する姿だ。 
 
日本も同じように3大タイトル戦本戦のみ上がっても7段に昇段させてタイトルを取れば8段、9段に引き上げて見たら村川大介、伊田篤史、一力遼などまだ年齢幼い棋士が8,9段に上がっている。

四十を越えてこそ囲碁の深さが分かるという坂田栄男9段の話が今は通用する時代ではない。 10代にしてすでに囲碁のすべての技術をみな習得して20代から貫ろくがつく最近には10代、20代の9段はありふれた。 

ついに私たちの囲碁界は昇段制度に対する構造的な問題点に直面した。 それなら段位改革に対する研究が必要でないだろうか。 何年か前、対局料がない昇段大会無用論が出てきて全体棋士が参加する棋戦のうち初戦を昇段対局と認定する規定が通過した。 大会がとても多いからそのうちの10個の大会だけを指定することに改正されたのだ。 だが、構造的な問題がいよいよ今年さく烈した。 下図を見よう。

[2014年昇段大会に規定された棋戦]
1.囲碁王戦 
2.国手戦
3.韓国物価情報杯
4.LG杯 
5.天元戦
6.国手山脈杯
7.レッツランパーク杯
8.名人戦
9.農心杯
10.GSカルテックス杯 

2014年全体棋士が参加した棋戦はぴったり10個だ. プロ棋戦が如何に多く消えたのか実感できる資料だ。 ところで今年は深刻、あまりにも深刻だ。

3番の韓国物価情報杯は囲碁リーグ チームに入って棋戦が消えた。
5番の天元戦も未来天元戦というイベントに変わって全体棋士が参加できない。
6番の国手山脈杯も予選が廃止されて全体棋士が参加する棋戦でない。
7番のレッツランパーク杯と8番の名人戦はまだ開幕のニュースがなくてプロは首が陥る状況だ。
9番の農心杯はすでにし終わってもう残ったのは11月にするGSカルテックス杯だけだ。 

まだ8月なのに大多数のプロにはたった一つの大会だけしか残されていないのだ。 こういう場合今年の昇段大会は5回だけすることになる最悪の手順を免れないだろう。 10対局を基準として昇段点数を算定しなければならないことを5対局だけすれば世界大会優勝で昇段できない棋士は一生9段に成ることが出来ない。 それでも今になっては5対局x2で適用することもできない事だ。 

2014年と2015年間に、1年で棋戦が半分になった状況ならば来年にはさらに減ることもある。 囲碁界の傾向が世界大会と囲碁リーグに度々傾いてここにイベント大会という三角構図を形成する流れならば昇段規定を適用する棋戦は自然に消えるほかはないから、昇段大会、すなわち段位制度も当然改正されなければならない。

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▲イ・チャンホもイ・セドルも予選から走った2014年5月19期バッカス杯天元戦予選. 当時韓国棋院所属プロ棋士254人が予選に出場したバッカス杯はこの時を最後に翌年から韓中未来天元戦というイベント棋戦に変わった。



ここで個人的な考えを一度書く
 
1.囲碁はアマチュア初段から7段まである。 ところでなぜプロになれば再び初段から始めて9段にならなければならないのだろうか。

2.3段時期にプロ3段といえば囲碁を知らない人々は“オ、そうですか、私はテコンドー3段なのだが”と話す場合が多かった。 いちいちそれがそれと同じかと反論することもできなくて4段に本当に早くなりたかった。 4段といってからは相手が自分はテコンドー何段という人が急激に減った。 

3.韓国でもこのようなので外国に出て現地人に会えばアマの段かプロの段か区別できない現象がもっと加わらざるを得ない。 低段でも外国に囲碁普及をしに行く棋士に8段普及段をあたえる理由がここにある。 アマ7段の次の段階がプロというものを知らせるには当然プロ8段にならなければならない。 

難しく苦労して山頂に登った人はケーブルカーで簡単に上がってこようとする人が良く見られない。 このように現段位を改革することも既存の観念を完全に変えるということなので容易ではない。 だが、今の囲碁級数と段位体系は本来私たちが作ったのではないか。 事実問題がある事を分かりながらも韓中日互いに誰かが変える事を期待するのではないだろうか。

入段すればプロ8段、その次の一定期間、たとえば500勝をすれば9段になったり、でなければ1000勝をすれば良いという規定だけ作れば良い。 タイトル戦優勝は特別に9段にすぐに引き上げれば良いことではないのか。

アマ7段の次がプロ8段、その次はプロ9段なら人々が認識することも容易だ。 これが自然な段位体系だ。 手合割を定める時も自然で誰に言うことも容易だ。 もう東洋3国だけプロ制度があることでもない。 アメリカとヨーロッパでもプロが出てきている。 現実感あるように18級から1級という級数体系と初段から9段という同じ道の段位体制での転換を考えてみなければならない時期でないかと思う。 
 
原文記事:変える時になったプロの段位体系