余正麒の浮上、日本世代交代の兆しか 
 
余正麒


“本当に幸いだ”

円田秀樹日本団長は安堵のため息を吐いた。 日本が16強で全滅しなかった。 8強進出はそれだけで十分に満足する成績ではないが格別つまらない成績とは決して言えない。 日本の世界大会8強進出は珍しくなったためだ。 二年前井山裕太と高尾紳路がこの大会8強に上がっているのだがそれも本当に長い間のことだった。 

日本にとって今回のLG杯での成果はただそれだけではない。 他でもない10代棋士の活躍だ。 世代交代を切実に望んでいる日本に10代棋士が世界大会で高地に上がったという事実は鼓舞的だ。 

20周年をむかえたLG杯朝鮮日報棋王戦本戦8強は、最近の世界大会がしばしばそのようにしてきたように韓-中対決で圧縮されなかった。 韓国4人、中国3人なのだが、残りの一つの席を日本新鋭余正麒が占めた。 余正麒は満19才だ。 日本は高尾紳路、羽根直樹、結城聡など自国最高舞台である日本3大棋戦(棋聖・本因坊・名人)を牛耳る棋士がシードを受けて出たが全て脱落してあまり知られてなかった余正麒が残った。 

[520508][520501]014-news2

▲第20回LG杯16強戦で余正麒(左側)はイ・ドンフンと向かい合って座った。

日本から移住した張栩の空席に代わって急にシードを受けることになった余正麒は8日江原道(カンウォンド)、平昌(ピョンチャン)で広がったLG杯本戦32強で中国強豪ポン・リヤオ折ったのに続き10日16強戦でイ・ドンフンに勝った。 よく知っている囲碁ファンもいるだろうがなじみがうすい人も多い名前‘余正麒’ 彼は誰か. 

1995年6月19日台湾、タイペイ市で生まれた。 張呂祥門下. 囲碁愛好家である父から5才の時囲碁を習い2006年台湾で入段した。 この時が10才3ヶ月であったのだが台湾棋院最年少記録なので開始から注目されていた。 2008年7月18日には2段に昇段した。 台湾の有望な新鋭プロ棋士として彼の生涯はそのように流れるようだった。

そうするうちに2009年電撃渡日をする。 大きく成功するには大きい水で遊ばなければならないという持論を持つ母親は息子を囲碁先進国日本に送るべきとの意志が確かだった。 幼い年齢の余正麒は母のそのような見解に完全に同意しなかったけれどその意思に従った。 それで2009年日本関西棋院所属棋士として再入段した。

日本で彼は才能を思う存分開花させた。 2011年関西棋院新人賞を受け、2013年第61回NHK杯で小林覚と張栩を撃破して3回戦に進出した。 2013年8月29日最終予選で潘善琪に勝って日本3大棋戦の中の一つである本因坊戦(第69期)の本戦リーグに進入した。 本因坊戦史上最年少リーグ進入(18才2ヶ月)だった。 従来の記録は井山裕太がたてた20才2ヶ月だった。 

昨年には第23期竜星戦で準優勝して、第58期関西棋院第1位決戦戦挑戦者決定戦に進出し、第1回ゆうちょ杯(非公式戦)で優勝した。 今年に入っては、30才以下の超早碁棋戦第6回おかげ杯の頂上に上がった。 決勝では新鋭ライバル一力遼を制圧した。 

このようにうまく行く新鋭だがメジャー世界大会の本戦シードを受けることになったのは幸運だった。 張栩の突然の台湾移住によったことだった。 

日本にとって世界舞台で変わらない期待を送る張栩は、先月台湾に住む所を移すという意思を明らかにした。 二つの理由による。 一つは本人が成績に満足しないので環境を変えて雰囲気を一新するということ、また、一つは台湾囲碁界にも助けになりたいということだ。 張栩は居住地だけ移動しただけで相変らず日本棋院所属棋士であり日本大会にも変わりなしに参加する。 

張栩の発表に日本国家代表コーチ陣もせわしくなった。 日本の代表選抜に関するすべての権限は国家代表チーム監督(山城宏)が握る。 監督はコーチと相談した後、余正麒を指名した。 井山裕太、村川大介、河野臨、伊田篤史、一力遼などまた他の優秀な人材がいるが農心辛ラーメン杯代表として待機中なので今後の大会日程が重ならないように考慮しなければならなかった。 日本関係者たちは、コーチ陣が余正麒を選んだところは10代の新鋭棋士に経験を積むようにするという意味もあったことだと見た。 

“夢を見ているようだ。”

8強進出を確定した余正麒は外に出た幼い子供のようにときめきがいっぱいである表情でこのように話した。 彼の人生で自信が精一杯わき上がるようにさせた事件だ。 

32強戦で正面対立したポン・リヤオ(中)とは2012年4月にも同じ大会予選決勝で対決した経験がある。 したがって雪辱も兼ねていたわけだ。 

“内容を振り返ってみれば、容易ではない瞬間が多かった。 それでも強い相手ではあるが手ごわい相手とまで考えてはいない。”とした。 

16強相手イ・ドンフンも強大だった。 余正麒は“イ・ドンフン5段が今年のはじめKBS囲碁王戦でパク・ジョンファン9段を2-0で負けさせ優勝した強者という事実をよく知っていた。 しかしいつものように私は相手を意識しない。”と話した。

それと共に“イ・ドンフン5段は冷静な棋風であり戦闘を楽しまないようだ。 そうした点はナ・ヒョン6段とも似ていた。 私は張栩、イ・セドル、古力のような棋士が好きだ。 彼らが戦闘を無尽蔵楽しむように私もそうだ。 イ・ドンフン5段に対抗して、私は度々戦おうとしたしイ・ドンフン2段は自身のペースで導こうとしたが結局大石の戦いが起きた。 大石を囲んだ戦闘が大丈夫だったのかはもう少し検討してみなければならない。”と話した。 

日本に活動舞台を移したことを今ではどう思うか尋ねたところあっさりと素直に答える。 “日本に強者が多くて研究会も立派なことは分かることは分かったが日本に移るべきだとの考えは母の意思が強かった。 私はただ幼い子供であり格別考えがなかった。 だが、私がずっと台湾にいたならば今程度の成績を出す事は想像することもできなかったことだ。”といった。 

日本は囲碁を研究するのに台湾より良い環境だった。 2年前、井山裕太は内田修平とともに余正麒を大阪にある自身の自宅に招いて囲碁研究を行った。 井山は最上棋士として後輩の助けにならなければならないという責任感を感じているようだ。 井山は対局のために忙しい日でなければこのように実力がある新鋭を自身の家に呼ぶ。 

一流棋士とともに息をすることだけでも実力がどんどん増える程、囲碁にだけどっぷり浸かっている余正麒には蜜のような時間だ。 午後1時頃研究を始めて午後6時頃までする。 

一昨年日本に国家代表チーム‘GO碁ジャパン’ができてからは囲碁研究環境はより一層良くなった。 東京、大阪、名古屋などお互い生活する地域が遠くてオンライン リーグ中心に訓練するだけだが、実戦量が増加したということは大きい意味がある。 重要な大会を控えては合宿訓練もする。 もちろんこれはオフライン. 毎年国家代表チームの所属棋士は更新されるのだが今は40人ほどがいる。 

[520508][520501]001-1wf

▲第20回LG杯16強にそれぞれ台湾と日本を代表して出てきたリン・ジュィニェン(左側)と余正麒. 二人とも台湾出身だ。


そういえば日本国内台湾出身棋士の成績が良い。 張栩、王立誠、王銘琬、張豊猷、黄翊祖、李沂修などの棋士ほとんどが成績が良い方だ。 ハングリー精神のためであろうか。 

”異郷暮らしをするだけに精神武装がよくなっているとみなければならなくないだろうか。 日本で生まれた棋士が1時間を勉強すると台湾出身棋士は2時間しようと努力するようだ。 成績はそのような差から来るのだろう。 ” 余正麒の話だ.

台湾人の余正麒は世界大会に日本代表として出る。 日本囲碁ファンたちの応援も、台湾囲碁ファンたちの応援も受ける。 日本の国家代表であり台湾の健児だ。 

余正麒は“複雑な心境だ.. 祖国は誇りに思うが日本代表として試合する時、私は言葉どおり日本を代表するという心掛けで碁を打つ。 何と表現するかわからない。”とさらけ出す。 

日本の国家代表チーム コーチであり選手の高尾紳路は今回のLG杯開幕式で日本は国家代表チーム訓練の影響で5年後ぐらいに世代交代が完全に成り立って韓国と中国に追いつくことだと見通した。 余正麒の浮上はその兆しであるようだ。

世界舞台で少し遅れをとった日本がどれくらいで達するのか、どのような変化を見せるのか大言壮語できないが少なくとも色々な日本新鋭が世界大会に出てきて強大な火力を誇示する姿を近い将来見ることができないかという予感がする。  (キム・スグァン記者)
 
原文記事:余正麒の浮上、日本世代交代の兆しか 





おすすめ記事セレクション

【人気記事まとめ】当ブログの年間人気記事ランキングTOP10(2015年分)

【韓国話題】中国囲碁が強い本当の理由

【日本話題】張栩が台湾に行った理由は? 

人気記事ランキング

【夢百合杯】「たとえ負けはしたが私は失ったものより得たものが多い 柯潔は時代を風靡するほどの強者ではない」李世石インタビュー

【夢百合杯】地だけ数える韓国、地+碁石数える中国 韓中囲碁ルールの差

【韓国話題】第一人者イ・セドル、なぜ三十才で引退して米国へ行こうとするのか

250