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21才'日本十段'伊田篤史
十段戦挑戦手合五番勝負で高尾紳路3-2で折って

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▲最年少日本十段に上がった伊田篤史(21). 

伊田篤史、20才以前のタイトル獲得は容易ではない! 

多くの若い新鋭棋士がプロ入段をすることになれば持つ希望が20才以前にタイトルを取得することだ。 それが自身を証明する最も速い道であるためだ。 

最近日本の十段タイトルを握った伊田篤史(1994年3月15日生)もやはりそうであった。 彼は"入段する時20才以前にタイトルを取得したいと考えたが後でこの考えがとてもあどけない考えだと思った。 21才で優勝をした事もとてもはやいものと考える。"と十段タイトル獲得所感を明らかにした。 

4月22日日本棋院で広がった第53期日本十段戦挑戦手合第5局最終局で伊田篤史はタイトル保有者である高尾紳路を押して3対2でタイトル獲得に成功した。 生涯初優勝であり入段6年1ヶ月で最短日本7大タイトル獲得記録であり、21才1ヶ月で7大タイトル獲得三番目最年少記録でもある。

伊田篤史には一生忘れることはできない日でもあるが翌日4月23日は高尾紳路の結婚11周年記念日なので彼にも大きな痛みだった。 

伊田篤史は8才の時<ヒカルの碁>を見て囲碁に陥った世代だ。小学校6学年の時日本棋院中部総本部で研究生になり中学校を卒業する15才の時入段してプロの道を歩くことになった。 

入段と同時に11連勝をおさめ、その中で山城宏などの9段にも勝利をおさめたことがある。 プロになった後自費で国際大会統合予選にもしばしば出場して経験を積んだ。 2012年彼は第4回BCカード杯でカン・ユテク、イ・ヒソンに勝利をおさめて本戦に上がり、本戦1回戦でポン・チェンを折って32強に上がることもした。 

この時から日本棋院は彼に注目をし始め、2012年、2014年二度中国乙級リーグ(3勝4敗),中国丙級リーグ(4勝3敗)代表で出場したりもし、同時に二度農心杯代表名簿にも名前を上げた。 

2013年、本因坊戦挑戦者決定戦で山下敬吾を押して日本本因坊史上最年少挑戦者になって同時に8段に昇段した。 当時日本囲碁界では"日本囲碁の世代交替の時期がきた"という評価が出てくる雰囲気であった。 

本因坊戦七番勝負で結局井山裕太に1対4で敗れたが彼の成長はとても明確だった。 2015年初め、彼はNHK杯決勝戦で一力遼を折って大会史上最年少優勝した。 最終的に十段戦で平成の四天王と呼ばれる高尾紳路さえ彼の疾走を防ぐことができなかった。 

伊田篤史は"失敗に対しては反省するが後悔はしない。"と話す。日本囲碁界の伝統的な雰囲気が中国古典文化の影響を深く受けているのだが、棋士親筆揮毫で彼は<荀子 勸學>に出てくる"駑馬十駕(遅くて鈍い馬でも駿馬の1日程度で行ける距離を10日かければ行くことができるという意)"の"十駕"を選択した。 

十段戦を主催する日本産経新聞はこれに対して"才能ある若者が10倍の努力を通じて韓国、中国の後に続く日本囲碁界の人物になることができるのか注目される。"と評価した。 

<ヒカルの碁>は20世紀末から21世紀始めまで東アジア文化圏に多くの影響を与えた。<ヒカルの碁>の実在のモデルが誰かということには色々な人々の議論が入り乱れているのだが原作者は井山裕太と関連している発言をしたが素材を収集する過程では関西棋院の瀬戸大樹を参考にしたものだ。 

<ヒカルの碁>が出てからすでに10年余りになって<ヒカルの碁>を見て育った世代が世界囲碁舞台で君臨している。そしてまだ<ヒカルの碁>の夢を見ている新鋭棋士がいる。 1998年生まれの台湾出身姚智騰とは<ヒカルの碁>を見て日本留学を決心し、1999年生まれである芝野虎丸もやはり<ヒカルの碁>を見て囲碁を始めて2014年入段に成功した。これらを通した<ヒカルの碁>の夢は続くのだろうか? 
第53期十段戦第2局大盤解説会150326 : 【15】  

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