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コラム-LG杯は妙手の宝庫
歴代LG杯決勝に現れた妙手調べ
 
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▲昨年LG杯16強戦全景. 
 

LG杯歴代名場面
 
世界舞台で日本囲碁を越えた韓国棋士の大活躍の中でいよいよ1996年LG杯とサムスン火災が同時にスタートした。最初に始まった時は二つの棋戦すべて韓国棋士の優勝パレードが続いて'私たちだけの祭り'に変質してややもすると興行失敗につながるのではと心配した時もあった。 

だが、2000年以後回を重ねながら状況は反転した。 黄砂風の中に中国棋士の活躍が目立つ様子を見せたためだ。 ついに最近数年間は韓国棋士の優勝をさておき決勝対決を中国棋士だけで行うことまで深刻なほど広まった。

LG杯の特徴のうちの一つは唯一決勝戦で素敵な妙手がたくさん登場したという点だ。 普通決勝戦の場合、勝負に対する圧迫感のために良い手よりは失敗によって崩れる場合が多い。 互いに気を付けて見たら実験的な手や冒険を避ける場合が多いためだ。 オリンピックマラソンで金メダルがより重要なことで記録はそれほど重要ではないのと同じ道理. 

今年4月に予選を通じて再びLG杯が始まれば20回目となる。 パク・ジョンファン-キム・ジソクの決勝戦の話を始める前にこれまでのLG杯歴代名場面を整理してみる。

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▲ユ・チャンヒョク、イ・チャンホは20年前両昌時代を開いた。 


1.イ・チャンホはなぜヨセの神であったか
 
両昌時代と呼ばれた1997年3月初代LG杯優勝カップを置いて矛と盾がぶつかった。今は互いに棋風が変わったが当時までも攻撃と守備の代名詞に選ばれた二人の棋士だ。 

国内大会全冠の王に挑戦したイ・チャンホは唯一世界大会ではたびたび苦杯をたくさん飲んだ。 反面ユ・チャンヒョクは大きい棋戦に強いという修飾語のとおり世界大会優勝が国内大会優勝数と似ているほどであった。 今のパク・ジョンファンとキム・ジソクぐらい当時二人の棋士のポジションはかなり似ていた。 ただ、決定的な違いは当時韓国囲碁は全盛期に入り込んでいて、あえてイ・チャンホが優勝をできなくても中国と日本の優勝ではなく、チョ・フンヒョン、ユ・チャンヒョクの優勝につながって願望のまなざしがなかったという点だ。 

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第1回LG杯決勝2局 白-イ・チャンホ黒-ユ・チャンヒョク

左辺接戦で成功したユ・チャンヒョクの優勢の中に囲碁は終盤に駆け上がっていた。囲碁の流れを変えるには相手が予測できない手が必要だ。 

まさに白1がそうだ。 絶対タイミングということもできる一手であった。 黒がAに置くと白はBに置いてCで越える手とDでハネるヨセを味わうことになる。 微細な囲碁で2目損害をこうむることは本当に嫌だ。 ユ・チャンヒョクは虚を突かれたこの一手に揺れ始めた。 黒2は誤った選択. 白3で静かに押して極めて平凡な手がヨセの妙手であった。 白5,7でハネが先手. 黒は8で守らなければならない。 白が隅で手を出す余地が再びできたためだ。 ここを先手で処理するとすぐに形勢は急反転して以後自責感に陥ったユ・チャンヒョクの引き続いた失敗が初代優勝カップを渡す結果になってしまう。 

1997年が勝負を基点にイ・チャンホの一人独走時代が開かれる。 これまで世界大会で唯一ぎっしり詰まったイ・チャンホの疾走が始まるのだ。 永遠に続くと思われた独走時代は再び2000年代で両李時代に変わる。 そのきっかけになったひと勝負が第7回大会であった。 

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▲イ・チャンホ、イ・セドルがLG杯開幕式に参加した。 


2.キラーイ・セドル登場 
 
2000年イ・セドルは'不敗少年'というニックネームがつく。歴代不敗少年の系譜はキム・イン、チョ・フンヒョン、イ・チャンホ、イ・セドル、パク・ジョンファンにだけついた修飾語.特徴ならば当代最高の棋士になったという点だ。イ・セドルは第5回LG杯決勝でそれこそ破竹の勢いに上がる。故郷ではソウルまで大規模応援団が上京することまであった。 

序盤2連勝後3連敗. その昔趙治勲が坂田の老練さに逆転負けされたことぐらいイ・セドルもやはり優勝を目前に置いては平常心を失った。 だが、機会は遅く訪れて来なかった。 2年間の内面修練のおかげなのか全盛期に進入したイ・セドルとまだ絶頂期であったイ・チャンホの第7回大会決勝戦は時代の流れを変えるもう一度の名勝負であった。

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第7回LG杯決勝1局 白-イ・チャンホ黒-イ・セドル 

囲碁は単純だった。中央白の打開がどうなるか。囲碁で核パンチが何かと尋ねられるならば、筆者は常にイ・セドルが見せた黒1一発を見せる。変化も不要な一手だ.

9回大会を基点に12回イ・セドルの優勝を除いては18回まで全て外国棋士が優勝をする。 何と10年LG杯韓国囲碁は屈辱の歴史だ。 そのうちの決勝戦を外国棋士だけで広げる場合も多くて最高の世界大会は無関心大会に転落することが常だった。 しまいには15回で朝鮮族ピャオ・ウォンヤオ(漢字名朴文尭)がコン・ジェを相手に決勝戦で見せた歴代世界大会最高の決勝戦妙手が世の中に光を正しく見ることもできず埋もれていた。 

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▲ピャオ・ウォンヤオ-コン・ジェ2011年LG杯決勝場面.

3.朝鮮族ピャオ・ウォンヤオLG杯を抱く 
 
幼い時期才能を認められて北京に留学したが貧困は彼を苦痛にした。 母は子供のためにしてみないことがなかった。 この事実が知らされるとすぐにチョ・フンヒョン国手とサムスン火災を企画した前タイジェムパク・トクス常務が長い間後援をしたことは有名だ。 ただ、おもしろい事実は三星火災杯でなくLG杯優勝を通じてこの借金を返したとのこと。 

15回決勝に上がった時はイ・セドル休職期の隙間市場を攻略した最短期間世界1位コン・ジェ時代. 1位の期間がとても短く、そのような時代もあったと反問することもできるがコン・ジェは一年で世界大会4冠王に上がった驚くべき記録の保有者だ。 私たちとしては誰が勝つか全く関心がない無関心試合を繰り広げられ、二人の棋士はこれ見よがしに名勝負を広げた。 特に優勝を決定する決勝2局の攻め合いの妙手はピャオ・ウォンヤオ一生の一手と言っても過言ではない。

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第15回LG杯決勝2局 白-ピャオ・ウォンヤオ黒-コン・ジェ

下辺白は'가'に置いて黒を捉えに行きたいが黒がAに置く瞬間手不足になる。Bに置いてもCで付ければ一手不足.コン・ジェも驚き、この囲碁を見た中国棋士全て驚いた一手が白1のツケ。攻め合いの妙手であった。 




この前パク・ジョンファンの優勝で終わった第19回LG杯は10年の不振を一度に払いのけた韓国囲碁が生き返った様子を見せた。 4強戦全員が韓国棋士であり決勝戦はランキング1,2位が上がって興行でも大成功を収めた。 

イ・チャンホ、イ・セドルの7回大会決勝戦以後初めて1,2位が正面対立した江陵(カンヌン)LG杯の話を継続する。(次回に続く)
 
TYGEM /キム・ソンリョンプロ