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“イ・セドルの口と手足になったのは大きい幸運”
10回戦勝利の隠れた主役イ・ヨンホさん

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▲イ・セドルの10回戦勝利の隠れた主役イ・ヨンホさん.


70年ぶりの10回戦はイ・セドルの勝利で終わった。去る1月から毎月広がった八局の対局のうち七局を敵地である中国で行い、勝ち取った貴重な勝利であった。 

中国人さえ不慣れな山岳地帯、辺境地などの色々な悪条件の中でおさめた勝因はイ・セドルの卓越した精神力、集中力、そして大勝負でより一層自身の特質を生かす勝負欲だった。しかしそれに劣らず重要な口と手足の役割を誠実に遂行した人を忘れてはならない。10回戦中ずっとイ・セドルのゆったりとした影になったイ・ヨンホ(38)さんがその主人公. 

イ・チャンホの一歳下の弟イ・ヨンホさんはイ・セドルを至近距離で最適なコンディションを作るのに一助となった。通訳、ボディーガード、スケジューラー、スポークスマンはもちろんで、酒友達、かんしゃく受けの役割まで引き受けた功労が大きい. 古力には話友達、スパーリングパートナー、マッサージ師まで付けたことを思い出せば今回の10回戦でまた他の勝因がイ・ヨンホさんであることは自明だ。 これに対しタイジェムは10回戦8局が中国重慶で真っ最中広がっていた途中イ氏に会って10回戦の話を聞いてみた。 

2002年から7年間タイジェム中国支社長を引き受けたイ・ヨンホさんは1999年から弟による兄イ・チャンホの話をタイジェムで人気の下に連載したし、その話を集めて'私の兄、イ・チャンホ'を執筆したこともある。 最近では北京で'イ・セドル囲碁学校'を運営している中国通だ。

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▲イ・セドルの影の役を遂行したイ・ヨンホさん(左側). 



-いつも'イ・チャンホの弟'と呼ばれることがどうなのか?
 
宿命でないだろうかと思う。そのような話は小学校の時から聞いた。初めにはそうだと思ったが大学に入る時ぐらいなるとしばらく嫌いになることもあった。そうするうちに中国にしばしば来ることになったし、その時から不本意ながら兄(イ・チャンホ)のコンパニオンの役割をした。もう自然に'イ・チャンホの弟'と呼ばれている。 

-囲碁と関係ない道を行ったと思うが中国にはどうして来ることになったのか?
 
大学ではコンピュータ工学を専攻した。当時コンピュータ工学部は未来学課であり人気学科であった。ところが1年通って適性が合わないとわかった。学究的なスタイルや自然科学が好きなのでなく、社会的な面が発達した私としては悩みが激しかった。 しかし両親はひとまず卒業はしてから次に希望するものをしなさいと言って、大学2学年の時から休みがあれば中国に発ったし今まで中国との縁が続いている。 

-事業家で知られているが主にどんな事業をしたか?
 
年齢に比べて多くの事業をした。携帯電話部品事業は実際に投資もしてみたし、留学関連事業もしたし、飲食業まで….今、私の事業の大部分は'イ・セドル囲碁学校'になったが。 

-囲碁教室なのか囲碁学校なのか?事業はうまくいくのか?
 
'イ・セドル囲碁学校'が正式名称なのだが、大体5才~7才程度までの子供たちを教える。プロを量産する道場ではなくて、今現在50人程度の子供たちがいる。まだ1年程だ。ほとんど10回戦と同時に事業が始まった。容易なことがあるだろうか。私の経験ではあきらめないで着実にしていれば、うまくいかないことはない。 それでも囲碁というのは私がちょっと分かる分野だからうまくいくだろうと信じている。

-イ・セドル囲碁学校にイ・セドルはしばしば来るのか?
 
あまりに頻繁にきているので心配だ。10回戦、中国リーグなど1ヶ月に1~2回ずつ、きちんとくると負担になる(?)程にしばしば来る。個人的に大変で、対話する相手が必要だったりする時は必ず電話がくる。私的には兄弟間だから….

-イ・チャンホの弟なら囲碁もよく置くと思うが、囲碁の実力は?
 
初めて囲碁を習ったことは正確に覚えてないいけれど兄のように囲碁教室にしばらく通ったことと記憶する。そうするうちに兄の幼い時の師匠だった故イ・ジョンオク師範が当時小学校の放課後教室をしたが、その時学校で習った記憶がある。分からないけれどその当時にも兄の見よう見まねで少しは分かる状態だっただろう。 大学卒業後に囲碁を知っておかなければならないから再び置き始めたが今はタイジェム5段だ。

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▲イ・セドル-古力重慶対局復碁場面.イ・ヨンホさんはいつもイ・セドルの手と足になってくれる。 


-10回戦でイ・セドルのマネジャーをすることになったきっかけは?
 
10回戦は数年前から何度か試みられて水泡と消えたりした。中国プロであるワン・ウェイホが10回戦ではなく、ささいな棋戦のサブスポンサーをした。彼は言った、10回戦メイン スポンサーである梦百合会長ニ・ジャンゴンが、古力が2012年三星火災杯決勝で半目負けを二回したことに対して非常に実に残念がったし、それが10回戦成功の理由になったといった。 それでイ・セドルの意見が重要だとひとまず私を訪ねてきて諮問を求めた。 公式的にはイ・セドルの韓国語通訳として仕事をする。

-イ・チャンホのマネジャーの役割もしなかったか?
 
1997年韓中天元戦から兄を助け始めた。イベント大会や中国リーグで兄が中国を訪問する時主にコンパニオンの役割をした。知ってのとおり兄は水ジンクス(国内では大活躍だが飛行機に乗って海を渡ったら実力を発揮できないこと)もあったし食べ物もよく食べられなかったのでそうした。

-今回の10回戦でイ・セドルが大変がったことがあるか?
 
シャングリラ(5局)やチベット、ラサ(7局)とルアン(6局)のような所はファンの立場では行ってみたら良いところか分からないが対局者には苦役だった。特に古力はシャングリラでは前夜ほとんど一睡も寝られなくて目が非常に赤い状況で碁を打った。イ・セドルは勝敗を離れて最適最善の条件でないという事に不満があった。 イ・セドルは碁を打つのに支障があるかないかを持って判断した。 難しくても私が調節できれば良いが調節するのが難しい環境は玉に傷だったようだ。

-それで古力一行より何日か先に入山して、ホテルで古力一行と互いに会うこともできるが、会えば何の話を主にしたか?
 
しばしば会った。しかし古力とイ・セドルは互いに親疎関係を離れて試合期間中には目礼程度だけで絶対に私事の話はしなかったよ。いつも懇意な間柄だが10回戦が二人には非常に負担になる試合であることがわかった。

-10回戦を通じてイ・チャンホとイ・セドルを比較するならば?
 
難しい質問だ。ただし、イ・セドルが10回戦を持つのは幸運だ。一生のライバルがいるためだろう。古力は年齢、戦績、成果などで類似した人物だ。また、お互いを尊重している。ただし兄の場合は少し独歩的だったようだ。人格的に立派な常昊がいたりしたが成績面では少しアンバランスではなかったか。 

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▲イ・セドルがイ・ヨンホさんを見つめて復碁下の姿.中国はイ・ヨンホさんに'セドルママ'というニックネームを付けた。
 

-そもそも10回戦が始まる時、誰が勝利すると見たか? 
 
初めには4.5-5.5でイ・セドルが有利だと考えた。その理由はイ・セドルは冷徹な勝負師だが古力は相対的に豪放な人なので決定力では古力が少し押されるのではないかと思った。 

-今回の10回戦8局の展開が多く枯れたが?
 
重慶は古力の故郷だが、どうしてもチベット(7局)で古力が負けて5-2でひとまずイ・セドルが引分けを確保しておいたものが大きかった。中国ファンたちがたくさん虚脱したためではないか。 

-イ・セドルは5局が勝負の分岐点といった。いつ10回戦を勝利を予想したか?
 
ルアンのテンタンジャイ(天堂寨)で広がった6局だった。終わって対局内容に対してとても満足そうだったし、話をしながら、自身が満足する表情で6勝を上げることができるだろうと思った。

-対局中のお昼は対局場内部で解決するが主にどんな食べ物を探すか?
 
過去、兄は中国の食べ物が合わなくて、韓国料理だけに固執して苦労が多かった。ところがイ・セドルはなんでも食べるのでその点は気楽だった。私も見慣れない中国の食べ物でも、ハンバーガーや、中国カップラーメン、弁当などその時その時の気分で探す。

-最後に中国通として今の韓中囲碁の状況を見るならば?
 
中国囲碁がうまくいくほかはない。体系的に育てる養成システムもそうで、一般人が感じる囲碁の地位もそうで、全般的なシステムが韓国とは比較にならないほどだ。過去にはチョ・フンヒョン先生と兄とイ・セドルなど数人上手にする選手がいたので韓国がしばしば勝ったようだ。 韓中天才どうし勝負をしてどちらか一方が勝つ確率は当然50パーセントだが、天才が出てくる確率は韓国がはるかに劣る。

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▲イ・セドルが北京イ・セドル囲碁学校でサイン会をしている。左側に立っている人がイ・ヨンホさん.