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[世界大会] [特集] 10回戦勝利の現場、重慶に行く(上)!

 

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 ▲雨が降る重慶市チャンベイ空港.重慶を訪れた韓国の関係者たちは初めから困難を経験しなければならなかった。大会期間中ずっと雨が降った。
 
 
もしかしたら最後になる可能性がある10回戦第8局を取材するために重慶に行く。
 
10回戦が始まる頃イ・セドルvs古力の歴代戦績が互いに優劣をつけることはできない20勝20敗のきっ抗した接戦なので8局で一方が先に6勝を持っていくことが起こるだろうと予想した人はあまりなかった。
 
ところが4局まで2勝2敗ときっ抗した接戦を行って古力が突然3連敗で急転直下を重ねて終盤に入ってしまった。だが、古力が一方的に押されたかというとそれは違って5局ではみな勝った囲碁を理解することはできないミスで逃すと同じパターンが6局と7局でも繰り返されて終盤に入ったのだ。
 
9月27日土曜日午前6時40分.仁川(インチョン)国際空港には東亜日報ユン・ヤンソプ記者、囲碁TVのヤン・ジヌPD、タイジェムのチン・ジェホ記者、韓国棋院広報チーム チャ・ヨング次長に記者まで5人が集まった。
 
日曜日開かれる‘重慶大勝’を取材するための重慶遠征隊だ。当初イ・セドル9段も一緒に行くはずだったがコンディション調節のために一日前である金曜日現地に出発したという。
 
 

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 ▲宿舎は重慶市東北部に位置した大層な名前のキングワールドホテル.周辺に有名名所はなくて子供パークがあることが印象的だった。重慶も北京や上海のようにスモッグが激しいところであったので中央山の上に聳えている建物が最初に対局場ではないのかと思った所だ。
 
 
会うやいなや10回戦の話で忙しい。果たして終わるのかが主題.イ・セドルが持つ矢は三本.三本中一本だけ命中させれば勝利が確定するが、万一、最初の矢がはずれるならば勝利を確信し難い。 それできつく置いて重慶で終わらせるという意見がある反面、それでも重慶が古力の故郷なので古力の体面もあって主催側事情もあると、いくらイ・セドルであっても手の中に情をかけて9局まで行くという予想もあった。
 
だが、イ・セドルという人はこういう大きい勝負に情をかけるようには見えなかった。それで記者の意見は前者だ.
 
午前8時40分仁川(インチョン)発重慶行アシアナ航空OZ353編(便)に身をのせた。重慶までは約3時間30分の旅程だ。
 
中国の心房部に位置している重慶は中華人民共和国西部の直轄市だ。中国の直轄市は合計4つなのだが、北京、上海、広州に重慶も含まれる。重慶人口だけ3500万人とかかなりの国一つと釣り合う規模だ。特に1940年から大韓民国臨時政府と光復軍が留まった所でもある。

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 ▲ "まさかこんなところで対局を?" 車から見えた建物が重慶フェニックスベイパーク.左側建物中に対局場があった。
 
 
重慶は1954年毛沢東により直轄市で四川省の県級市から降格される侮辱を受けたりもしたが1997年に中国の鄧小平主席が自身の故郷である重慶を発展させるために近くのプリン市、ワンセン市、天長地区を編入して重慶直轄市として再び昇格させる。 近隣のルォヤン市と西安市、成都市と重慶を西部開発の足がかりとして三峡ダム水没民を再び定着させるためだったという。
 
そして古力はこちら重慶が産んだ最高のスポーツ スターだ。1983年生まれ古力は孔傑、フウ・ヤオウィなどと一緒に80後小虎世代と呼ばれる。
 
父親の影響で6才の時から囲碁を習って重慶棋院に通った。1997年ニェ・ウェイピン門下に入門して新人王戦をはじめリコー杯、西南王杯、阿含桐山杯、名人戦などを順に席巻して自国内第一人者にのぼった。しかし世界大会ではきわめて振るわなくて2005年まで‘国内用’という汚名を被った。
 
だが、2006年LG杯世界棋王戦で優勝して彼の棋士人生が変わった。LG杯優勝カップは中国棋士の世界大会最年少(満23才2ヶ月)優勝記録であり当時重慶市はそれを記念して切手を発行するほど熱烈な声援を送ってくれた。

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 ▲イ・セドル9段がマネジャーイ・ヨンホさんと話をやりとりしている。イ・ヨンホさんはイ・チャンホ9段の弟で現在中国に居住中だ。中国女性と結婚をして息子を二人も置いていて兄とは性格が正反対
 で非常に社交的であり活動的なので顔が広い。兄が中国にくるたびにマネジャーを自任してコンディション調節に細心の注意を払っていて、今回の10回戦にはイ・セドル9段のマネジャーを引き受けて勝利の主役になった。
 
 
以後古力は常勝疾走を繰り返して2007年春蘭杯、2008年富士通杯を優勝すると2009年にはトヨタデンソー杯、LG杯、BCカード杯など世界大会3冠王に上がってはじめて中国棋士では名実共に世界トップにそびえ立つことになった。
 
これまで中国はニェ・ウェイピン、マア・シャオチュン、常昊が世界大会の脈を引き継いできたが彼ら皆が韓国のチョ・フンヒョン、イ・チャンホ師弟に徹底的に押さえられて自尊心に傷を受けたので古力に至ってはじめて世界頂上にそびえ立つことになったのでその意味は格別だろう。
 
イ・セドルとの10回戦はこのような背景の中に誕生した。イ・セドルも強敵だがマア・シャオチュン、常昊では不可能だった韓国棋士との対等な勝負を古力ならばすることができると中国囲碁界は見たものだ。
 
重慶に入ってくる飛行機の重慶市広報映像に古力が登場したり、2008年北京オリンピック聖火リレーで重慶地区1番走者を古力が引き受けたことは重慶での彼の地位を説明してあまりある。
 
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 ▲早く記者会見場に到着したイ・セドル9段は現地ファンたちに写真撮影サービスをするほど余裕を見せた。
 
 
ところで祝祭の場にならなければならない重慶だが、古力が5敗にあったまま帰ってきたので彼を声援する立場ではどれくらい呆れただろうか。すでにイ・セドルに共同優勝を許容していて、もしイ・セドルの10回戦優勝が決定される広場になるとしたら何故重慶になった事か、後援する立場では堪え難くても堪え難いことがないはず。
 
そしてついに重慶で良くないニュースが聞こえてくる。7局が終わった後突然、8局を後援することになっていた中国スポンサーが契約金をあきらめても後援を放棄するとのこと。
 
そして少し後に他のスポンサーが決まったので予定通りに重慶で8局が開かれるというニュースは入ってきたが韓国棋院さえも宿舎がどこか対局がどこで開かれるのかさえも知らないまま一行は重慶に発つことになる。
 
中国側のうろたえ方は重慶チャンベイ空港に到着しても読みとれる。
 
選手団が空港に到着すれば主催側で出迎えにくることになっていたというのに人が見あたらない。結局しばらく待ってチャ・ヨング次長が韓国に電話をかけて現地に事情を調べてみることをお願いし、1時間を過ぎてこそ一行を連れに人が現れた。
 
 
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▲古力と今回の大会を後援したニ・ジャンゴン ホンカングループ会長. 残った対局を全部勝つことも難しいのに、全部勝ってこそやっと共同優勝になる立場としては元気になれるはずがない。結果的に古力の故郷重慶が、勝負が決定された8局の場所にしてしまったことは10回戦主催側の最悪の失敗になってしまった.
 
 

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 ▲古力を最初見た瞬間びっくりした。10回戦に対する負担と圧迫のためであったか。やつれていて頬肉が抜けた姿は正直10才は年を取ったとみられた。
 
 
土曜日だが初めて来た重慶はそれほど道が混まない。道路が結構広いせいであったか。宿舎は空港から市内を横切って行かなければならない江北(カンブク)にあったが約30分を走って到着することができた。
 
宿舎は君豪ホテル.現地語ではキングワールドホテルというが、選手団皆がこちらに泊まるが対局は他の所で開かれるという。しばらく休息を取って明日対局が開かれる所で記者会見がある予定なので4時にホテル ロビーに降りてこいという。
 
部屋に荷物を解いて降りてくると直ちに出発.ところで相変らず対局場所はどこか分からない。‘行ってみれば分かるだろう’といいながら搭乗.車は再び川沿いを走ってしばらくすると再開発地区のような丘に上がる。

川辺を走っている間向い側の丘に素敵な建物が立ち並んでいて誰かが“多分あそこで置こうとするようだ‘と言ったのでそうだと思ったが少し走ると車が止まって降りろという。降りてみると話をした通りまだ工事が完全に終わっていないような再開発地区のようだがここで10回戦8局が開かれるという。よく見るとイ・セドルvs古力の垂れ幕もあるので対局場のようである。
 
はあ….それでもここはちょっとひどい….
 
 

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 ▲ 10回戦を後援しているホンカン家具グループのニジャンゴン会長.今回の10回戦に合計700万中国元(韓貨約12億6000万ウォン.この中で9億は賞金、残りは運営費)を出した。古力の熱烈なファンという会長は三星杯決勝で古力が二度連続半目負けを当てられて準優勝に留まる姿を見守って"これが古力の真の実力であるはずがない。二人の勝負は少なくとも10回は競ってみせてこそ知ることが出来る方法"としながら10回戦開催を説明したという。
 
 
分かってみると本来重慶で8局を誘致することにしたサブ スポンサーが手を引いてしまった後、困難を経験したようだ。7局が終わった後わずか一月の間に新しいスポンサーを探すとすれば当然難しかったし、しかたなくメイン スポンサーであるホンカングループのニ・ジャンゴン会長が出向いたという。結局彼が重慶で急いで新しいサブ スポンサーを見つけたのが、 こちら重慶で建設事業をしているHIFETEという建設会社.
 
なのでこの対局場所であるフェニックスベイパークはHIFETE社の対外接待用建物ぐらいと考えれば良いということだ。
 
イ・セドル9段にはこちらの記者会見場で会うことができた。イ・チャンホ9段の弟であり今回の10回戦イ・セドルのマネジャーを引き受けたイ・ヨンホさんと一緒であった。すべて中国の人々だったのでイセドル9段もかなりうれしかった模様で明るい表情で合う。
 
 

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▲古力とは反対にイ・セドルは余有がある姿でインタビューに応じた。
 
 
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 ▲記者会見場全景. 席に人は結構いたが中国の囲碁行事にこのように人々が集まったとのことは本当に異例なことという。万一、古力がリードしていたとか、まだ勝負が決まらないまま重慶で8局が開かれたとすればまちがいなく市全体が持ち上がるほどの行事になったというのが現地関係者の意志伝言だった。
 
 
記者会見前、色々な言葉が行き来している間イ・セドル9段から注目するほどの発言が出てきた。
 
“10回戦がこのように水っぽくなった原因は全体日程に問題があったことのようです。5局が開かれた雲南省シャングリラは本当に大変でした。あまりにも大変で、行き来する事も大変だったし良く知られたように海抜4000メートルの高度なのでコンディション適応も難しかったんですよ。対局二日前に入ってきたが一日前に入ってきた古力はさらに適応する余裕がなかったでしょう。

それでも囲碁は古力が圧倒的に有利だったが最後に話にもならない失敗を犯して負けましたよ。チベットでの7局もずっと古力が良かったじゃないですか。なぜ10回戦をこのように大変なところに通って行うのか理解することはできない。個人的に10回戦は棋士の一生をかけるほど重要だと考えていたが対局場所によって勝敗が決まるケースが発生すると私も残念です”
 
 
万一、古力が中間戦績で先んじたり対等な状態で重慶に入ってきたら大々的な祭りの雰囲気の中で行われた重慶での8局は意気消沈した中で幕が上がった。
 
 

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 ▲記者会見を終えて記念撮影.左側から2番目が古力を六才の時初めて囲碁を教えたという重慶棋院のヤン・イー院長.右側から3番目の女性がややもすると失敗に終わることもあった重慶での8局を後援したHIFETE社の副社長.
 
 

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 ▲ 10回戦の公式写真だったとすることができるイ・セドルと古力の握手場面.こちら重慶での8局がちょうど最後の写真になってしまった。
 
 
記者会見では二つの質問があったがその最初には‘水泳のパク・テファンと孫さんのように二人の間も普段プレゼントをやりとりする間柄なのか’という質問と‘10回戦は残忍な勝負だが勝敗が決定された後でも二人の友情が持続することができるだろうか’という問いだった。
 
これに対してイ・セドルは“言語上の問題のために私的な往来はたくさんなかったが、これまで多くの対決の中でも酒の席も何度も一緒にするなど私たち二人は常に楽しく碁を打つ。誰が勝とうが10回戦を通じて私たちの関係は友情がさらに深くなるだろう。”と話した。
 
古力の話は通訳がなくて理解できなかったが“ひょっとしてイ・セドル9段にプレゼントをした事があるのか”という質問に“三星火災杯決勝戦で2連続半目負けをプレゼントしたことがある”と話して笑いを作った。
 
そして8局の前夜はこのように終えられた(2部に続きます).
 
 
文・ユ・ギョンチュン囲碁ニュースチーム長 


【十番勝負】10回戦勝利の現場、重慶に行く!(下) : ○●