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不滅の趙治勲、73回目の優勝を見て
日本マスターズ杯小林覚折って73回優勝

 
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▲趙治勲が日本マスターズ杯で通算73回目の優勝。
(写真出処=日本棋院)
 

80年代初め趙治勲の名人獲得と大三冠(棋聖名人本因坊など日本3大タイトル同時保有)ニュースに接して小学生の子供は囲碁を習い始めた。 その隊列に合流した筆者もやはり交通事故に遭って車椅子に乗った姿で'命をかけて置く'という趙治勲を見て長い間座右の銘とした。 いつもちゃんと洋服を着飾って(今はライオン頭をしているが)常に碁盤だけ凝視している趙治勲の姿は、勝負に臨む姿勢を教えてくれたしそれはまた、囲碁人として生きていくモデルになることもした。

趙治勲を実際に初めて見たのは90年代に入ってからだった。 当時東洋証券杯世界大会で偶然にも趙治勲の対局を記録した。 当時は記録担当者が秒読みも一緒にしていたので、外国棋士には英語で秒読みをした。 趙治勲も6才で日本に留学したという話を聞いたことだし当然韓国語はできないと思って英語で秒を読んだ。 韓国棋院関係者もやはりそのようにしろとあらかじめ注意を与えたことはもちろんだ。 

ところがこれがどういうことか? 正確な発音で趙治勲は"ハナ、ドゥ、セ(1、2、3)で読んでください!"というではないか。 記録担当者であった筆者だけでなく囲碁関係者たちがその姿を見て対局結果より趙治勲の韓国語能力に関心を見せた。 幼い時韓国語を忘れないようにハングル本をずっと読む練習をしたという。 この話が翌日ニュースになってより一層ファンたちに'趙治勲神話'は続いた。 その時だけでも趙治勲が日本に'帰化していなかった'としてファンたちの間でも諸説乱舞があったはず。

90年代以後韓国囲碁が日本を越えて趙治勲の後に続いた趙善津、柳時熏、金秀俊の名前が囲碁ニュースから自然に消えることになって日本留学に行く幼い棋才もないと見ると日本囲碁は関心の外になった。 反対に趙治勲の名声を分けたチョ・フンヒョンの世界制覇が新しいニュースになったし関心の対象はイ・チャンホ、イ・セドルにつながった。 

 
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▲趙治勲最初のタイトル獲得場面. 日本プロ囲碁10傑戦坂田栄男-趙治勲(勝) (写真出処=韓国カメラマン協会)


去る12日台風'ノグリー'が日本列島で完全に消えたことと同時に久しぶりに趙治勲の話が玄海灘を渡ってきた。 第4回日本マスターズ杯で小林覚に勝利して3年ぶりにタイトルを追加したのだ。 今まで記録した優勝回数は合計73回で2002年坂田栄男の64回優勝記録を更新した以後続いている日本新記録だ。 彼の年齢58才で成し遂げた大記録だ。

趙治勲は1968年11才7ヶ月で日本最年少入段記録を保有している。 1983年初めて大三冠に上がったし1996年に再び大三冠をした。 本因坊は1989年から1998年まで何と10連覇を達成したし、11連覇記録を阻止した棋士は皮肉にも韓国から渡ってきた趙善津だった。 2003年には自身の子供よりずいぶん幼いパク・ヨンフンを相手に三星火災杯を優勝をする底力を見せることもした。 日本メジャー大会優勝は2007年十段戦が最後だ。

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▲趙治勲-小林覚.

1回に続き今回(4回)も優勝した日本マスターズ杯は50才以上が参加する棋戦で私たちとすればデジョ杯のようなシニア棋戦だ。 日本囲碁の全盛期の時有名な棋士が(王立誠、小林光一、武宮正樹、林海峰、大竹英雄、王銘琬など)総出動するので名前だけみればレジェンド オールスター戦のような感じがする。 タイトルを保有した棋士は本戦シードを受けてその他の棋士は予選を通じて上がってくるので大会の格を上げた。 

決勝相手は小林覚(55). 筆者とは1996年第1回三星火災杯16強で試合したことがある。 紳士的なイメージにマナーも良くて多くの囲碁ファンを保有していたが、柳時熏と酒の席の戦いにより法廷訴訟を行ったりもして良いイメージを傷つけている。 

各自制限時間は1時間で日本では早碁に分類される。 内容は序盤から乱戦の連続だった。 結局は右上隅が勝負所に浮び上がった場面だ。

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<場面も>第4回日本マスターズ杯決勝趙治勲(黒)vs小林覚

白1,3で隅の後味を狙った手. 黒4で付けた手が詰まった一手だ。 白のコウを作るのを防備した手. この手によってこれ以上隅では運が向かない。 趙治勲が73回目の優勝カップをあげることができた'神の一手'であった。

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<参照図1>実戦は結局白1-5まで若干の利益を見ることとして終えられた。だが、黒6まで右辺黒地で白が耐えられることは難しくなった。

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<参照図2> 白が1に置くのは効果がない手.白が5-9までコウを作ることが目的だが黒10まであらかじめ黒が付けておいた手によって運が向かない。


去る年末に中国で広がった珠鋼杯を取材したタイジェム記者の話によれば韓国団長で参加したクォン・カムリョンと趙治勲はほとんどすべての時間ゴルフの話をしたという。 若かった時は囲碁の次に酒が好きだったし、今はゴルフが大好きな趙治勲は家をゴルフ場の近くに引越したという。 

後進養成を通じて内弟子も受けて金秀俊と今は韓国棋院で活動するキム・グァンシク、その他に日本棋士も数人弟子で置いた。 一日日課がゴルフとインターネット囲碁というほどまだ囲碁を怠らない。 趙治勲、チョ・フンヒョン、ソ・ポンスこの大棋士3人の共通点は年齢と関係なく囲碁に関連しない仕事はしないということと体力管理が上手だという点だ。

7月末にはワールドカップにより1ヶ月休戦していた10回戦が再び始まる。 来年には果たしてどんなビッグイベントが開かれようか? 10回戦に味をしめた囲碁ファンたちはすでに10回戦以後に対する要求をするかもしれない。 果たしてスポンサーがいるかは分からないが、さらに遅くなる前にチョ・フンヒョン-ソ・ポンス10回戦やチョ・フンヒョン-趙治勲の最後の10回戦を見たい。 全盛期をとうに過ぎたので囲碁の技術はイ・セドルと古力よりはるかに劣るだろう。 しかし囲碁は技術が全てではない。 ファンたちは囲碁が人生それ自体である人々の人生の軌跡を追うことをさらに望むのかもしれない。 

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▲昨年の珠鋼杯世界囲碁団体戦で綺羅星のような上手の検討の姿.一番左側が趙治勲だ。
 
TYGEM /キム・ソンニョン