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囲碁にはないこと、囲碁にだけあること

囲碁リーグが本格シーズンに入った。囲碁の最大ライバル(?)のプロ野球も囲碁より半歩先立ってリーグを始めた。野球と囲碁は結構共通点が多い。勝者と敗者を分ける勝負という点、ファンを基盤とするプロフェッショナル ビジネスという点、一度取り憑かれると誰もが目を奪われる魔性を持つという点などで根本的に似ているところが多い。

ところが黙って調べれば相当な部分で違う。‘類似したもののようだがようでない’ことを称して似而非という。囲碁の立場で見れば野球が、野球の視点で見る時は囲碁が似而非だ。ここは囲碁の村だから囲碁的観点で話すのが身上に有利だ。 囲碁にあるのに野球でそろえられないのはそれだけ不足するという意であるから野球に‘似而非’のレッテルを付けても関係ない。 囲碁にはなくて野球にだけあるのは?  概して盲腸、いぼ、こぶのような‘余剰組織‘を受け入れるからうらやましがる必要がない。 このような不当前提の下、二つの間の’あること‘と’ないこと`を比較してみよう。

まず野球にはあるが囲碁にはないことから見回すことにする。一番最初に浮び上がるのが観衆だ。これは囲碁の長所であると同時に弱点でもある。仙界の道楽、隠遁の芸術というイメージを守るためには観衆が不必要だが、代わりに観衆なしでは現場興行が不可能になる。観衆の役割である応援やヤジなども見物することはできない。ウェーブのようなものを夢見ることも出来ない。 野球場の花であるチアリーダーの律動もあきらめなければならない。 当然ダフ屋も登場しない。

囲碁には審判なども必要でない。野球は1ゲームに五人ずつの審判がつくのと比較すると囲碁がどれくらい自律的なゲームなのか実感する。もちろん立会人や記録係などが登場するが彼らがする機能は審判とは全く違う。警告や退場もない。囲碁はそんなにものものしかったり索漠としたゲームでない。 囲碁の村でイエローカードやレッドカードを見物しようとしていては200才を生きても見られないで死ぬ。 ビデオ判読などを囲碁の村で探すよりは寺に行って梵鐘探す方がはやい。



作戦タイム、監督サイン、選手交替のようなものも囲碁界隈最新版、事前いくら遅れをとってみても出てこない。本来は監督または、コーチなどもなかったが囲碁リーグ登場以後‘新規職種`として登録した。だが、囲碁監督は野球監督と違いチーム管理とオーダーを組む仕事だけする。 囲碁監督が野球監督をまねて姑息な手段で対局真っ最中である自らの選手に手ぶりや足でサインを送ってはその日で切られるだろう。 リレー方式のTV大学同窓戦では一時序中終盤選手交代時点で作戦タイムというのは存在したが耐えることができなくて廃止された。

代打や代走者のようなもの野球の妙味に選ばれる。打撃が良い選手、足がはやい選手が各自自身の能力を最大限活用して二人三脚でチームに寄与するようにさせた制度だ。囲碁でもこのようにすることができないだろうか。 曖昧な死活場面が発生すれば創作詰碁の大家クォン・オミンを投じて、終盤目が飛び出るような整地の場面ではヨセの化身であるイ・チャンホやパク・ヨンフンを登板させる。 だが、囲碁ではどんな形式の入れ知恵も足を付けることができないから代者は忘れてください。



産業的側面でも囲碁にはないのが本当に多い。選手たちの確保手続きである契約というのはなくて、スカウトがなくて、トレードもない。プロ野球のようなプロフェッショナル球団システムで見ようとするなら囲碁は真に別種の勝負世界だ。‘イ・セドルとパク・ジョンファン メガトン級電撃1対1トレード!’または‘チョ・ハンスン、FA史上最高額の超大型大当たり契約!’ ‘Tブロード、中国トップスター時越巨額スカウト成功’ 等、こうしたことが出てくればおもしろいはずなのに…. プロ スポーツ界で外国人傭兵はもう世界的傾向だ。 私たちの囲碁選手たちさえ毎年中国市場に巨額を受けて出て行ってなかったか。

ビーンボール、ベンチ クリアリング、バスケットボールのテクニカルファールなども囲碁では探すつもりで考えてはいけない.この間ハンファvsLG戦でハンファ のチョン・クンウが二度ビーンボールにあった直後両チーム選手たちがどっと繰り出して険悪な状況が演出された。率直に言ってみればその瞬間緊迫したグラウンドの雰囲気が正規ゲームよりもはるかに興味深かった。 アメリカでは時々ファン サービスの一環でこのような場面を演出するという話もある。

もし対局の時、刃物のように鋭く碁石を置いて相手棋士が手に傷を負って、これに対し検討室同僚が怒髪天をついて対局室に乱入する活劇が広がるならば?



囲碁に本当に必ず導入されたらと思うのは別にある。勝負終了後インタビューだ。1対1勝負で敗れた人がカメラの前に出てきて所感をいうのは死ぬよりも嫌だろう。だが、プロ野球など多くのスポーツでこれが普遍化していきつつある。反対に勝者インタビューもケチなのが囲碁の村だ。 私たちの棋士はプロフェッショナリズムと資本主義、マーケティングなど基本概念に対するもう少し深い省察が必要だ。 ファンたちは囲碁の手に劣らずプロ棋士の言葉一語をもっと聞きたがる。 前夜祭席ですら‘寡黙‘なプロも多い。

一つ警告. 野球にだけサインボールがあるのがとても得だとしないこと。囲碁の村にはサインボールの代わりにサイン盤というのが存在する。榧子のような良い材質に最初に1流棋士2人の署名だけ受ける。軽く億の値をつける財産に位置するだろう。何年か前、億の値がつく碁盤所有権問題で騒々しかった事件を思い出すだろう。

逆に囲碁側では棋譜をもって“これ一枚にすべてのことが入っている”としてとても自慢する事はできない。 プロ野球にも同じ機能の‘記録紙’が存在するためだ。 ボールカウントと打球方向まで記録される。 それこそ‘野譜’水準だ。 この他にも囲碁には2軍とマネジャーとバブルヘッド人形もない。


反対に囲碁にだけあってプロ野球にはないことにはどんな事があるだろうか。若干抽象的、包括的概念だが‘時空間超越性’が両側を分ける最も明らかな差別点だ。プロ野球1ゲームを行うには最小限のグラウンドが必須だ。競技時間も制約を受ける。最小限の選手、監督、審判、観衆、記録要員が皆集まってこそ進行が可能だ。

囲碁は碁盤一つ、碁笥2個置く空間だけ確保されれば二人が雌雄を競うのに何の困難がない。 深夜に地球反対側の相手と宇宙空間(インターネット)で棋譜談を楽しんだ経験は誰にでもあるだろう。 服装、喫煙、愚痴にさらに悪口までも規制受けない。 このような便宜性は他の種目が死んで覚めてもついてこれない。

囲碁ゲームに存在する唯一の規制は考える時間の量に関連した事だ。1人当り制限時間、秒読み、封手などの規定は頭脳ゲームである囲碁が公正性確保のためにどれくらい厳格なのかをよく見せる制度だ。およそ1手当たり10秒囲碁からひと勝負に8時間まで、総所用時間をいくらでも調節することができる(前後半各4時間のサッカー競技を想像することができるか).
制限時間は規制でなく囲碁の多様さを用意するセンスあふれた制度だ。

地球上ゲーム中‘昼休み’を別に置いた競技が囲碁のほかにあるのかじっくりと考えてみよう。しばらく打ち合いする“ご飯を食べましょう”という号令と共に戦いを中断してご飯を食べて、ゲップ一発ずつ交換した後、また正面対立して戦う種目はいくら見回しても囲碁だけだ。

5回裏終わった後背を向けて自分のチーム ダックアウトに囲んで座って弁当片づけた後6回表からゲームを再開する光景を想像してみなさい。 田植えをして席を開いてマッコリ一杯にセチャム(おやつ)食べる農夫が思い浮かぶ。 封手こそ囲碁を他の競技と差別化する核心的、排他的象徴物だ。



囲碁だけの‘特性品`として復棋を取り除くことはできない。野球でも録画テープを回してみて’反省会’があると声を高めるな。どんな録画フィルムも盤上の完ぺきな再現、無限大に近いシミュレーションを充足させることができない。復碁は可能だ。18級が復碁すると砂利の長さや険山が提供されることでもない。 同じ地形、同じ位置でこの銃、あの砲弾、要戦闘艦を思いのままに変えていって分析できるということは復碁だけの恩寵で囲碁人だけの祝福だ。

囲碁にだけあることの中でもう一つの決定打は‘0.5‘だ。囲碁ゲームの勝負単位は’地‘ その最小ユニットは1目だ。これを半分で分けて作った半目という架空の概念が引分け発生の可能性を基本的に封じ込めた。同時に半目勝負は対局者とファンたち皆にぴりっとした戦慄を抱かせるドラマ装置としての役目を100%成しとげてきた。 ’半目‘僅差はどんな種目もまねることのできない囲碁だけの最高傑作品だ。 深夜12時頃まで延長戦を行っても均衡を破れないでくたくたになる野球ゲームを見るときは真に苦しい。 遠征チームの半目勝ちで処理すれば良いことをなぜそんなにぎっしり詰まらせるのだろうか。
 

最後に一つ残った。囲碁にだけあって他のところでは絶対探せない最後の‘作品‘は‘復活’である。死んだ命がよみがえる奇跡が碁盤の上では一日にも数 千回ずつ演出される。野球で死んだ(アウト)走者がよみがえるには審判の判定不服他には方法がない。一度交替させられた野球選手、5反則で退場させられたバスケット選手はその競技では死んだ命だ。

チェスでも花札でも死ねば終わりだ。 反面碁石は空虚な同生共死、人生がまもなく死で、死がまもなく人生だ。 コウ、石の下、フリカワリ、シチョウアタリ、ウッテガエシなどその経路も多様だ。 生死資材のこのような境地一つだけでも囲碁は断然ゲームの帝王ではないだろうか。 
 

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(イ・ホンリョル)