タイジェム - 大韓民国1位囲碁サイトTYGEM.COM 

イ・セドル-古力サイン碁盤1億ウォン
3局公開解説会場の雰囲気

852820_1217172_772837

▲イ・セドルと古力が10回戦3局を終えて公開解説会場でファンたちの質問に答えている。左側はイ・ヨンホさん、右側は主催側のワン・ウィフイ .(写真出処=中国sina.com) 



イ・セドル-古力10回戦第3局が30日午前10時(韓国時刻)中国成都市で広がった。 すでに2勝をおさめていたイ・セドルが難しい心理的な要素で先んじていたが最近2連勝の流れを継続して古力がイ・セドルに勝利をおさめた。 

古力は最近招商地産杯と春欄杯でイ・セドルを連破して上昇の勢いだが10回戦では0対2に後れているなかで3局で敗れれば挽回しにくいどん底に陥ってしまう負担を抱いて決戦に臨んだ。 今回の10回戦行事を進めているワン・ウィフイは試合を控えて"古力の心理的負担がとても大きい。 彼は主催側にあらかじめ成都では試合前にインタビューをしないと明らかにした。"と伝えた。 1局でイ・セドル家族が現場まできて応援をしたが、この日の対局現場には古力の夫人と娘も現場に姿を表わして古力を応援した。 

中国報道によれば10回戦に使われる碁盤10個は全て300年以上のカヤで作った非常に貴重なものだと言う。同時にこの碁盤は日本関西棋院の倉橋正蔵と倉橋正行の金持ちが製作したものという。古力とイ・セドル二人は毎回対局が終わった後碁盤にサインをする。 中国囲碁界はこの二人がサインした碁盤の価値は約60万中国元(約1億ウォン)に達することだと見ている。 

10回戦第3局を控えて主催側は囲碁ファンたちのために現場で解説を開いて試合を観戦できる280枚の入場券を準備した。 古力が0対2で後れた中で形勢が楽観しにくい状況に流れるとすぐに中国囲碁界では10回戦を全部みな満たすことができなくて早く終わってしまうのではないのかという懸念する声が出てきた。 このために試合場を物色する作業にも慎重を期した。 現場に来た囲碁ファンたちはこの碁盤周辺に集まって碁盤を背景に写真を撮った。 

 8617820_1217115_460687
▲古力(勝)-イ・セドルの3局復碁場面.

対局が終わった後イ・セドルと古力は公開解説場にきて囲碁ファンたちと共に対話をした。


ー夫人と娘の応援が特に力になったのか? 
 
古力-確かにそうだ。今朝私とともに対局場にきたが来る道で私をたくさん応援した。 

ー古代の上手が今日存在するとすれば実力はどう思うのか?
 
古力-当湖十局の棋譜を私は詳しく見たことがあるが古代の棋士の計算力はとても驚くべきだ。そして古代囲碁はタスキ星制(白黒を二ヶずつあらかじめ置いてから置く方式)で置いて現在と置く方法が違う。だが、私の考えでは彼らがもし現代にきて碁を打ってもまちがいなく超一流棋士だろうと考える。

ー幼い棋士は碁を打つ時とてもはやく置く。制限時間がいくらでも全部よく使うためにその秘訣を教えてほしい。
 
古力-実際には2時間半以上の対局では基本的に秒読みをみな使用できない。 だが、最近試合が激烈に変わって考えを必要とする勝負が多くなって時間を十分に使用できなくなっていると考える。 私の考えでは幼い友達は碁を打つ時楽しむ気持ちですると良いようだ。 楽しい気持ちですると時間は関係ないようだ。 

 872820_1217174_495986
▲ 10回戦3局に傾いた取材陣の関心.

 

ー自身が呉清源先生とどんな面で差があると考えるのか?
 
イ・セドル-私は呉清源先生をとても尊敬する。たとえ現在の囲碁技術がとても早く発展しても私は色々な側面で特に中盤時の創意性の面で呉清源先生との差がとても大きいと考えて、永遠に追いかけて行くことができないだろう。もし呉清源先生の10分の1でもできるならば良いだろう。 

ーすでに14回世界大会優勝したが、いつ頃イ・チャンホの17回世界大会優勝記録を破ることができるだろうか?
 
イ・セドル-私が世界大会優勝する問題に対しては新鋭棋士に尋ねなければならないようだ。 決定的である時誰かが私を一度配慮してくれれば。..(笑い). もし今回の10回戦で勝利できるならばおそらく次の回は一つ一つ順調にうまく解決することと思うが、もし負けるならばおそらく一生記録を破る見込みがないことだと考える。 

ー技芸の発展のために平常時にどんな本を読むのか?孫子兵法のようなものは?
 
イ・セドル-技芸を高めるにはやはり技術的なものである。推薦しろというならばどうしても死活類が比較的に良く見える。

 
范西屏 - Wikipedia
范西屏(はん せいびょう、1709年(康熙48年) - 1769年(乾隆34年))は中国清代の囲碁の名手。名は世勲、浙江海寧郭店生まれ。国手と呼ばれ、同じ海寧の施襄夏との対局「当湖十局」が知られる。施、梁魏今、程蘭如とともに当時の「四大家」とも言われる。

3歳の時に父が打っているのを見て碁を覚える。少年時代は浙江の兪長侯を師とし、13歳の時に杭州で徐星友に学ぶ。16歳の時に師に付いて松江へ行き、実力を知られるようになり、同郷の施襄夏と並んで名をあげる。

1739年(乾隆4年)に張永平に当湖(現平湖市)に招かれて、施と13局の対局をする。このうち11局の棋譜が残されており、これが「当湖十局」と呼ばれ、中国旧代の囲碁の代表作とされている。


当湖十局棋譜 

Web2Go 棋譜明細表   
http://web2go.board19.com/gopro/psnx_list.php?id=404